200.14

西 村 三千男 記

連載「余談・ドイツ化学史の旅」

 

第16回 ラズベリーケトン

 

木イチゴはヨーロッパではごく一般的なフルーツで、前回述べたジャム、その他タル

トのトッピングによく使われる。デザートの生食フルーツとして出て来ることもある。

一方、日本では野生種も栽培種もあるが、どちらかといえばマイナーな果物である。マ

イナーな果物であるにも拘わらず、その芳香の主成分であるラズベリーケトンについて、

私には格別の小さな思い出がある。

 

ラズベリーケトン(raspberry ketonep-ヒドロキシフェニルブタノン]、正確な命

名法では[4-(4-hydroxyphenyl)-2-butanone])はラズベリー(木イチゴ)の芳香の主

成分である。その分子構造は有機天然物としてはシンプルである。芳香成分としては、

主流派のエステル系などと較べ、ケトン系は少数派のようだ。

 

 会社生活のライフワークとなったポリクロロプレン。パイロットプラントでR&Dを

担当し、若さと蛮勇で設計した電化プロセスでは、クロロプレンモノマーはアセチレン

を2量化したビニルアセチレンに塩化水素を付加して合成する。塩化第1銅触媒の作用

下でビニルアセチレンに塩化水素を付加する。その際、主たる副生物ジクロロブテンの

他に少量のメチルビニルケトン[3-buten-2-on]が副生する。これは、それ自身も重合

性があり、クロロプレンモノマーの重合挙動に影響するので分離除去する。分離除去し

たものをそのまま排出できないので更に無害化処理をしていた。

 

 1989年新潟の工場から町田の研究所へ転勤した。研究所の有機合成チームに近藤

聖さんの相模中研から電気化学へ転職してきた博士研究員Iさんがいた。彼はこの副生

物問題を一睨みして、ラズベリーケトンの合成原料になると直感した。少しの実験で彼

の直感したプロセスは実現した。当時、電気化学はバルキーなコモディティ・ケミカル

ズでは利益が上がらないので、ファインケミカルズのファミリー展開を指向し、それを

専ら開発する「有機ファインケミカル開発部」を設けていた。ラズベリーケトンは新設

開発部の期待の新製品とされた。その直後に、カネボウがラズベリーケトンの生理活性

効果(皮下脂肪を選択的に燃焼する?)を発見した。若い女性用の衣食住の各分野に、

ラズベリーケトンを応用するブーム現象が惹起されたようだ。

 

 この事業の成立は、私の古巣である工場の仕事と新職場である研究所の仕事とをブリ

ッジすることになった。しかしながら、会社が有機ファインケミカル開発を指向する方

針に対して、私自身は懐疑的で冷めた目で見ていた。この件は別の機会に書こう。

 

(以下次回)