200.

西 村 三千男 記

連載「余談・ドイツ化学史の旅」

 

第20回 三越デュッセルドルフの店じまい

 

 三越デュッセルドルフが昨年(2009年)6月に、予てよりの世評の通り遂に閉店

した。今回の旅(2010年6月)で散策の途中でその閉店跡を確認した。店舗跡の一

部は旅行社支店が入居していた。

 

同店は、デュッセルドルフ中央駅真ん前のインマーマン通りに再開発で生まれた独日

センターに隣接してホテルニッコー・デュッセルドルフと軒を並べている。1970年

代のこと、インマーマン通りの再開発は日本企業連合によって実現した。第1次石油危

機後の世界同時不況の最中であった。竣工したのは私が駐在していた頃から約10年後

のことであって、プロジェクトの進展を身近に見ていた訳ではない。実は、当時オラン

ダ・アクゾー社との合弁事業を立ち上げるためにオランダ東部の国境に近い街ヘンゲロ

へ頻繁に出張していた。週末を利用してデュッセルドルフを訪れる機会が多く、街並み

の変貌を外側から漠然と見ていた。

 

後年、このプロジェクトの実情は内橋克人の名著、「匠の時代」第8巻に実名入りで

ドラマチックに描かれた。総合商社の丸紅と竹中工務店を中心とする日本企業連合が国

際競争に競り勝って受注し、緻密なプロジェクトマネージメントで現地常識の三分の一

程度の驚異的に短い工期内に完成するサクセスストーリーである。これにより竹中工務

店はグローバル化の端緒を開いたと位置付けている。

 

新設の独日センターには、日本国総領事館、日本商工会議所が入居した。その近傍に

は、当時唯一の外為専門銀行であった東京銀行、上述のホテルニッコー、三越などが集

中していた。ホテルニッコーに隣接して好立地に開業した三越・デュッセルドルフ店は

日本からの旅行者達にとってまことに便利な店舗であった。旅行者がお土産として買い

たくなるようなアイテム(例えばゾーリンゲンの刃物、皮革製品、羽毛布団など)をコ

ンパクトな店舗に上手に品揃えしていた。大抵のお土産購入はここ1ヶ所で間に合うの

であった。私たち夫婦も、ここで度々お土産のまとめ買いをしていた。この店は結構繁

盛していると見えた。ところが、約15年前の或る買い物で、商品の品質にゴマカシを

発見し「三越に騙された!」と感じた。同じ頃に、日本国内の日本橋本店でも似たよう

な経験をしたことから、三越カードから脱退し、三越で買い物するのを止めた。

 

その頃から三越のブランド力は徐々に傷ついてきた。世評でも国内店舗網の縮小と海

外店からの撤退が予感されていた。因みに、ホテルニッコー・デュッセルドルフも親企

業が倒産するなど、時代の流れの中で激動している。前回の「ドイツ日本館」の閉店と

も併せて、ヨーロッパに於ける日本の存在感の消長を示す一つのシグナルでもあった。

 

 

(以下次回)