フラウンホーファーの数奇な生涯

 

フラウンホーファー線、フラウンホーファー回折など化学者に親しみの多い現象を発見したフラウンホーファー(Joseph von Fraunhofer)は1787年ババリア州のストラウビングで生まれた。11歳のとき親を失い孤児となった彼はガラス工場の見習い工員となった。1801年にガラス工場が崩壊しフラウンホーファーは瓦礫にうもれたがMaximilian IV Joseph(当時の王に匹敵する権力者)の指揮する救助隊にすくわれた。

 

8が月後Optical Institute at Benediktbeuernに行くことになり、そこでかれは世界で最も精度のよい光学ガラスを作ることに成功、また光の分散を正確に計る方法を発明した。1818年にはそこの所長になった。かれの成功により、それまで光学機器の中心は英国から、ババリアに移ってしまった。

 

1814年分光器を発明し、太陽光線のなかに574個の黒線があることを発見した(フラウンホーファー線、後に1859年になってキルヒホッフとブンゼンが黒線の理由を明らかにした)。フラウンホーファーはまた光線の波長を正確に測定する方法を発明した。

 

しかし、ガラス工であった彼の生涯は短く、1826年に39歳で死去。当時のガラス工達は重金属の蒸気にさらされて中毒になり短命であった。