ドイツ旅行の余波

 

私は大学卒業後化学からは離れてしまったし、もともと有機化学ではなかったので19世紀のドイツの有機化学者たちにはあまり親しみがなかった。しかしドイツ化学史の旅パート3ではアイソマーズの有機化学の専門家である友人達に囲まれて、一週間たらずの旅行をしてきた。

 

何をしてきたと誰かにきかれたら、数人の19世紀のドイツの化学者の墓をたずね、ボン、ケルン、ミュンヘンの市内を歩き、白いアスパラガスを味わい、ベートーベンの住んだ家を訪ねた、と答えるだろう。しかし、人の墓を訪ねるということがどれほど大きな効果を自分にもたらすかを、旅行中は気がつかなかった。

 

ドイツ旅行は初めてではないが、19世紀の化学者達に焦点をおいて旅行ははじめてであった。おかげで、旅行の前後に読んだ資料により、これらの科学者の功績を詳しく知ることができたばかりでなく、これらの化学者および物理学者や技術者が、ドイツ以外の国にどのような影響を与えたかを知る機会となった。

 

旅行後、藤牧さんからリービッヒとマルクスとの関係をアメリカの図書館で調べてほしいという依頼をうけた。そのための一つの試みとして、Margaret W. Rossiter, The Emergence of Agricultural Science (副題Justus Liebig and the Americans, 1840-1880)に目を通すことになった。要点は19世紀中後半のアメリカで農学部や農業研究所がどのように設置され運営されたかの詳しい歴史であるが、出発点はリービッヒの研究と彼のギーセンでの研究室の模倣から始まっている。アメリカからリービッヒのもとに留学した人たちの生活やリービッヒとの接触が詳しく述べられている。アメリカではドイツに約半世紀以上おくれて、大学の農学部や政府の農業研究所が整備された。

 

リービッヒとマルクスの関係については藤牧さんが詳しく調べておられるので、後日の投稿を待ちたいが、私が知ったのは次のことである。リービッヒが当時最も進歩していた英国の農業を評して、人口密度の高くなった工業地帯の食料をまかなう農業地帯では、土壌から農業生産物に重要な化学成分が吸い取られ、自然破壊が起こっていることを指摘た「1」。この論評はマルクスに非常に大きい影響を与えた。リービッヒの指摘した化学物質の土地からの損失(リービッヒはlift(盗み)という表現を用いた)から出発して、マルクスは人口の農村から都市への移行、階級間の富の移行、階級の間の搾取の議論に発展させた。

 

19世紀のドイツでは、科学研究に非常に力が入れられた。当時のドイツは統一国ではなく、いくつかの王国に分かれていたが、それぞれの地方王国が大学をよく維持していた。ドイツが統一国としてまとまるのは、英国、フランス、ロシア、其の他の周りの国に比べると一世紀以上遅れたが、19世紀に科学に関してはそれらの国よりもはるかに優れており、日本もそうであったように、アメリカもドイツから化学や物理を学んだ。

 

この伝統は20世紀になっても続いた。第一次大戦で敗北後、不況の中からナチ党が生まれドイツ国民の50%以上の支持を受けたが、ナチ党はドイツの科学技術に強力に投資した。その結果、ジェットエンジン、ロケット、原子核工学のレベルは他の国よりもはるかに先を行っていた。

 

核工学に関しては、第二次大戦のまえにユダヤ人の物理学者がアメリカに亡命し、アメリカ政府のもとで原子炉と原子爆弾を成功させた。ドイツのロケット技術者の多くは第二次大戦後アメリカに移住し、人工衛星や月旅行を成功させた。

 

最近歴史チャンネルで放送されたアメリカにおけるナチ活動に関する番組によると、第二次大戦前には、ドイツからの移民(アメリカ人の1/4)の組織したナチを支持する党、つまりアメリカのナチ党というのがあった。第二次大戦が始まるとともに、アメリカのナチ党員と家族は、日本とイタリアからの移民と同様にコンセントレイテッドキャンプに隔離されたのである。日本とイタリアからの移民は終戦とともに釈放されたがドイツ人は3年後まで釈放されなかった。アメリカでは戦後もナチ党活動は続いている。

 

話をもとへもどすが、ドイツ化学史の旅パート3での大きな印象の一つは、ドイツでは乞食や貧民街が全然見られなかったことである。アメリカでは人口の1/4が貧民層で、家庭が壊れ、教育が不可能に近く、それでいて政府は彼らの生活費、医療費の援助のための膨大な福祉費を使わねばならない。

 

国の経済にしても、アメリカが不況に悩む現在でも、ドイツは年8~9%の成長を続けているという。工業生産が活発でなければこうはならない。アメリカでは景気刺激対策として、税金を返還したり、公共事業に金を使うが、このようなアメリカの景気刺激対策でもっとも潤うのは中国とドイツである。

 

アメリカでは工業生産の多くを中国への外注にしてしまった。ドイツでは生産費の安い中国にどのくらい外注しているかよく分からないが、高度な技術製品は自国で生産しているのではないだろうか。この問題ではさらに調査が必要である。なぜドイツには不況がないか、その答えは19世紀からの科学技術に関する政策の根本的な違いにあるように思われる。

 

首相による経済サミットで、アメリカのオバマ大統領が景気刺激対策として大量の支出をドイツ首相に要請したとき、メルケル首相はわが国では一時的に景気刺激するためにも金を使うが、それよりも重要なのは国の経済を基本から強くするために金を使うことであると反論した。国の経済を根本的に強くするというのはどういう意味か深く考える必要があるが、短期的な効果を重んじ、短期的効果の出せない政権はすぐに交代させられてしまうアメリカでは根本的な改革は困難である。

 

ドイツ旅行のおかげで以上のような2世紀にわたるドイツ歴史の流れが理解できた。現在なぜドイツが経済的に繁栄しているのかを解くためには、現代のドイツ経済発展に関する資料を読む必要がある。

 

中村省一郎 (9-24-2010)

 

「1」Chemistry in its application to agriculture and physiology [microform] / by Justus Liebig ; edited from the manuscript of the author by Lyon Playfair

Liebig, Justus, Freiherr von, 1803-1873