弔辞

 

直本 進君の御霊に、挽歌四首を添えて、捧げます。

 

突然の訃報に接し、悲しみで一杯です。いつものように、コメントが少ない年賀状を見て、元気でいるなと思っていました。

 

一昨年秋に、アイソマーズ五十周年記念総会が、母校の近く吉田山にある「吉田山荘」で、催されることになった時に、電話で誘ったのが、声を聞いた最後になりました。

その時は、出席してもらえず、今となれば、残念なことになりました。

 

君と初めてあったのは、昭和二十九年四月、京都大学宇治分校でした。

教養課程で同じクラスになり、出席番号も近く、お付き合いの始まりでした。私は高知の田舎から、君は神戸の街から来ていましたが、君も都会的とは言えなかったと思います。

 

吉田分校を経て、専門課程に進み、同じグループで実験をしていました。ともに、実験は上手くなく、レポートの提出期限が間に合わなくなり、ご指導頂いた船阪 渡教授にいつもお叱りを受けていました。

当時は、まだ電卓はなく、データの計算はソロバンと計算尺で行っていましたが、君は子供の時にソロバン塾に通ったとかで、暗算が得意だったことを覚えています。

 

卒業研究では、田村幹夫教授の第六講座に配属されました。

君は当時助手だった羽田 宏先生のもとで写真化学を研究することになりました。私は当時、助教授の倉田道夫先生のもとで、高分子溶液論の研究を始めました。

 

君はいつも暗室の中で実験をしていました。現像しているのは、明暗階調を示す色気のない写真ばかりでした。思い出を一首。

 

暗室で 現像したる ネガフィルム 乙女の姿 無きぞ悲しき

 

 その頃の私は、読書は好きでしたが、遊びごとは苦手でした。君は将棋と碁が強く、卓球に優れていました。

 

一緒に卓球をすると、いつも打ち易い球を返してくれました。そういう人柄だったことを思い出します。

 

 君は、読書はあまり好きではなかったことも覚えています。

 

実験に疲れると、四条川原町近く、裏寺町の飲み屋さん「八幸」さんによく通って、おねえさん手作りの料理で、一杯やっていました。また、一首。

 

 読書好き 読書嫌いに 分かれても ともに語った 裏寺の飲み屋(みせ)

 

 学部卒業後、私は大津の東洋レーヨンの研究所に就職しました。君は大学院に進みました。

 

私が新入社員として、忙しくしていた頃、君から、「友人と二人で高知へ旅行する」と連絡がありました。私の故郷には父母がいましたので、泊まってくるように奨めました。すぐに、母からカツオのタタキと皿鉢料理で、ご馳走するとの連絡がありました。

 

 あとで、いい旅だったと聞きました。また、一首。

 

 故郷の 我が家訪ねし 君よりの 電話懐かし 父母のもてなし

 

その後、君は松下電器に就職されました。ともに、結婚式に出席しましたが、忙しくなり、会う機会も減りました。

 

定年を過ぎたことから同窓会の機会が増えましたが、君の出席は二、三度に一度。多くはありませんでした。

 

その中で、思い出されるのは十年余り前のこと、京都祇園の白川のせせらぎが聞こえるサントリーの店で、飲みながら語った時のことです。口数は多くない君でしたが、楽しいひと時でした。また、一首。

 

懐かしく 語りしことは 白川の 瀬音とともに 君の思い出

 

 最近は、会う機会が少なくなっていましたが、元気でいれば、また何時でも会えると思っていましたが、残念です。

 

 安らかにお休みください。

合掌。

 

京都大学工学部 工業化学科 昭和三十三年卒業生 同期会 アイソマーズを代表して

 

武山高之

 

平成二十二年三月二日