Benjamin Thompson, Count Rumford (17531814) (1)

 

 米国生まれで英国の物理学者にして悪漢。

 ミュンヘンの軍需工場で、大砲のくり抜き中に、穴あけの摩擦が続く限り砲身が熱くなることを認めた。彼は、放出された熱量が、もしそれを金属に戻すことができるとしたら、砲身を完全に溶かしてしまうのに充分な量であることを観察した。金属に元来蓄えられていたよりも多い熱量が放出されたので、この観察はカロリック説 [] と明らかに矛盾する。そこでRumfordはボーリングの機械的プロセスが熱を生ずるものと結論した。彼はこの熱と等価な機械的な仕事の値を計算したが、それは後にJouleが報告した値ほど正確ではなかった。それでも、彼の結果がはっきりしているにも拘わらず、当時の物理学者たちは不確実だと無視し、従来の流体としての熱のカロリック説に固執した。自然の統一性への関心が高まる中で、この見掛け上異なる二つの物理量の互換性を定量的に検証したことが、学問のコミュニティで完全に無視されたことに驚かされる。カロリック説を捨てることにある程度の躊躇があったことは分かるが、Rumfordの研究で得られたような、説得力のある基本的な結論が無視されたことは理解しがたい。しかし、これは単に時間の問題で、Rumford の実験が後の者によって再現され、改善されて、遂には熱と仕事の等価なことが受け入れられるようになった。

 歴史家はいつも彼の熱の研究のみを引用するが、彼は中央暖房、煙の少ない煙突、台所のオーブン、保温下着、圧力釜、その他無数の実用的な改革をした。

 その後半生では、彼はLavoisierの未亡人Marie-Anneと再婚(やがて別居)した。Rumfordは横柄限りなく、友人はなく、また、急に成功を駆け上がると次は急速に窮乏に陥るような人生を繰り返した。彼のこの不快な個性とスタイルが、多分彼の行った改革の多くが歴史家により広く記録に留められなかった理由である。

 

 [] Lavoisier (1743826 日-179458) の時代には、熱は熱素(弾性的な流体:カロリック)

   と考えられていた。 

 

出典:http://scienceworld.wolfram.com/biography/Rumford.html

 

 

 

 ここでは物理学者としての業績だけに集中している。Thompson米国の独立戦争時には、英国擁護派の立場に立ったこと、後にババリアの選帝侯に仕えて、ミュンヘンにあるイギリス庭園の造成に携わったなどの功績で神聖ローマ帝国の爵位(Count Rumfordを名乗る)を受けたことなど、その波乱万丈の生涯には全く触れていない。これについては、続編を。