Benjamin ThompsonMme. Marie-Anne Pierretteの驚くべき生涯

 

Preface

 

 アイソマーズ通信 2010年号で、西村三千男さんの連載「余談・ドイツ化学史の旅」の軽妙なエッセイを楽しんでいます。その第21回「ミュンヘン英国庭園、中国の塔、日本茶室」を読んで、この公園がニューヨークのセントラルパークよりも広いと知って驚いたことがきっかけとなり、俄然いろいろなことに想いが拡がりました。

 MIT Prof. Emer. Dietmar Seyferth は、彼が敬愛して止まなかった 故 Prof. Ernst Otto Fischer(ノーベル化学賞)が TUM(ミュンヘン工科大学)に居られたこともあり、毎年かなり長期間ミュンヘンに逗留されるのが慣例となっています。その滞在中は、夫人と共にイギリス庭園に程近いアパートを借りて過ごして居られるとのことでした。先生からイギリス庭園の事も聴いてはいましたが、私はついぞ訪れる機会を逃していました。 話はこれからで、フランス革命当時、偉大な科学者Antoine-Laurent de Lavoisier が処刑された後、未亡人は一時フランスを離れて、このイギリス庭園のどこかに居を構えたのだそうです。Lavoisier の化学関係の財産一式もこの時夫人が持ち去ったので、現在、フランスで展示されている Lavoisier の化学上の業績に関わる実験器具等は総てレプリカなのだと、Prof. Seyferth は話していました。歴史の一こまとして、悲喜交々というところ。

 ところで、まだババリア王国時代のミュンヘンで、このイギリス庭園の建設に最初に関わったのが、意外にも植民地時代の米国生まれのCount Rumford, Benjamin Thompsonです。彼は、当時の熱素(カロリック説)を否定して、同時代のLavoisierに優るとも劣らぬ、物理学上の業績を挙げた風雲児で、しかも、Lavoisier未亡人と一時再婚していました。一方、この Mme. Lavoisierが大変な才媛で、Lavoisierの著作のイラストを彼女が描いていたこと、彼が処刑されてのち、一時はその著作や実験器具が革命政府に没収されたものを彼女が取り戻したなど、波瀾に富んだ生涯を送りました。現在、パリにある展示物を除いて Lavoisier の大コレクションは Cornell University が購入していることも分かりました。従って、Prof. Seiferth の話はやや不正確ではないかと、今は思っています。こんなことを調べたのが、結構楽しい時間でした。そこで、次のような4編の評伝をアイソマーズの皆様に読んで頂けたらと、アイソマーズ通信に提供する次第です。

 Lavoisierの生涯とその科学上の業績とは、皆さんには周知のことでもあり、出典としてはWikipediaが容易にアクセスできるので、敢えて採り上げませんでした。

 

(1)    Benjamin Thompson, Count Rumford (17531814) (1)

(2)    Benjamin Thompson, Count Rumford (17531814) (2)

(3)    Cornell University Library’s great Treasure of science: Lavoisier collection is Mme. Lavoisier’s achievement

(4)    Mme. Marie-Anne Pierrette (Poulze née) Lavoisier                                  

                                                            

                                                                                                                   山本經二 (2010828)