「吉野川」  木下蘭子著  鳥語社出版 1800円

 

感想

 

昨日郵便でずっしりした箱が配達された。あけてみると二冊の日本語の単行本が入っていた。一冊は「吉野川」、もう一冊は「南ドイツの光の中で」で、著者から妻昭子への贈り物であった。

 

うっかり昼寝をしてしまったので、夜寝付けないのを機会に、まず「吉野川」を読み始めた。この本は、随筆、短編小説に書いた著者夫婦の会話、旅行記、書簡などを集めたものである。ここで私が紹介するのは、第一章の「満州引き揚げの地」と第五章三節の「厳格亭主とアバウト女房」についてである。

 

著者は旧満州の吉林生まれで、終戦後ほぼ一年たって引き揚てきた。父親は終戦後二年間満州で行方不明、二年後に帰国し、その後住友機械の社員として新浜に住んだ。この章は戦前戦後を外地で過ごし、引き揚げ後も母親の苦労の元で育てられた著者の壮烈な生い立ちの克明な記録である。

 

この章を読んで、私自身の生い立ちと二重写しになるような気持ちを抑え切れなかった。実は私も満州(新京、現在は長春)からの引き揚げ者で、4歳から終戦の一年後の8月までの6年間満州で過ごし、父親は4年間ソ連抑留、ロシア軍の満州占領、戦後は住み家をはさんでが蒋介石軍と共産軍の戦う戦場となる経験をし、その間兄弟姉妹5人が母親一人に守られた。そして、引き揚げは、リュックサックに入るものだけをもって帰り、その後に日本での生活も過酷をきわめた。住んでいた場所と経験の詳細は異なっても、状況は非常に似ている。

 

「厳格亭主とアバウト女房」は大学で化学を専攻した夫太郎と妻百子という夫婦の会話を短編小説風にまとめたものである。夫婦間には性格や価値観の違いから何らかの摩擦があるのは当たり前とも言えるが、そのような夫婦のやり取りが辛らつに、しかしユーモラスに描かれている。読みながら、一ページに2度位は声を出して笑ってしまった。夫婦90度というのも面白い。0度というのもあるのをご存知だろうか。

 

しかしこの作品の功績のひとつは、夫婦間の摩擦を表現するための一つの形式を提供していることではないだろうか。つまり構文を変えないで、語句だけを入れ替えることによって、異なる家庭内の摩擦と悩みを表現し、まったく異なった作品を作ることができそうである。たとえば、もし夫がアバウトで妻が厳格だと内容はガラッとかわるだろう。朝になってから、木下蘭子さんの本は非常に面白かったよと昭子に話したが詳細はいわなかった。もし本当に我が家の場合を書かれたら、何を書きだすやらわからないからである。

 

まだほかの章は読んでいないが、ページをめくっている間に草炭研究会という言葉にであった。著者と夫の木下氏も中国の植樹に参加したというので、思わぬ繋がりにおどろいた。というのも、草炭研究会の幹部の一人である中西昭満に会われたことがあるかもしれないからである。彼は早稲田大学工学部出身で、私の妹容子の夫なのである。この会には私の弟(北大農学部卒)も参加して、植樹選びと条件の設定の担当をはたすためよく中国へ出かける。

 

自分と個人的につながる話が多かったので、まったく客観的な見地から書評を書くことは不可能であった。しかし、何気なく書かれている数多くの逸話にも注目すべき話題がおおい。たとえば、自分が誰かに勝ったか負けたかを気にするひとのいることに触れている。相手は兄弟であったり、同級生だったりするのだが、私もそのような人に触れて当惑したことがある。大学生のころ父の旧友であるAさんにお世話になった。その後Bさん(ある高校の先生)という人に別のところで会ったのだが、Aさんとの旧友でもあった。BさんはAさんと何十年も会っていないのでAさんの近況を聞きたがった。それで化学機械の会社の社長で東大の講師もしていると話したところ、急に顔色が曇り、涙まで流しているではないか。Bさんを不愉快にしてしまったことにすまない気持ちで暇をつげた。人生は勝ったとか負けたとかそう簡単な言葉で表せるのもではないから、一面だけをみて勝ったとか負けたとか気にするのは世界が狭すぎると私は思っている。この本の中で、このような勝ち負けにこだわる人がいることが書かれていることに興味を引かれた。

 

著者の筆は円熟している。見識の広さ、洞察の深さに敬意を表し、最後に出版の成功を祝したい。

 

中村省一郎(4-20-2010)