201126

西 村 三千男 記

 

「旅の雑記帳・オランダ」 

 

第13話 「オランダ病」と「オランダの奇跡」〜その1

 

オランダ社会は失業率が低く、物価は安定していて、経済成長率もまあまあ

の水準を維持している。オランダの友人たちは国家の将来や自分自身の年金や

将来生活について不安を抱いていない。政治の諸問題はさておき、経済と社会

は安定している。周りの国々から「オランダに学べ」と羨ましがられるような

経済社会のこの構造は坦々と実現したのではなかった。短い期間に、急浮上と

急降下を経て、過酷な社会実験の末に獲得された成果である。偶々、これらを

外国人の目で身近に見てきた。感じたまま、聞いたままを素朴に、なるべく短

く綴ってみよう。

 

1960年代

 本シリーズの第1話と第7話に述べた北都Groningen の陸上に天然ガス田を

開発した。それまで輸入に頼っていた一次エネルギーを国産の天然ガスで自給

出来るようになり、更に近隣諸国への輸出も始まった。産業競争力が高まり、

旧来から産業の中心であった食品と電機に加えて重化学工業が強化されるよう

になった。この時期、1960年代半ばに電化社はクロロプレンゴムの市場開

発に参入した。

 

1970年代

 第1次(1973)、第2次(1979)の石油危機に際して、オランダは

OPECから敵対国と認定されて原油の入手困難に直面した。然し、このこと

が国産天然ガスの供給体制整備を加速した。石油危機はオランダの産業競争力

を強化した。この時期、1970年代半ばに、第7話、第8話に述べたように

電化社はデルフザイル市にデンカクロロプレンゴムの現地生産プラント建設を

目論んでFSに取り組んだ。

 

絶好調は永続しないもの。石油危機からエネルギー価格が高騰し、オランダ

は天然ガスの輸出収入が増大した。この収入を原資にして社会福祉制度を充実

した。労働者賃金も急上昇した。オランダの通貨ギルダーの為替レートが上昇

して、工業製品の産業競争力が急低下した。あっという間に、失業率が上昇し

た。経済成長下で増大した社会福祉費が財政を圧迫した。後に、エコノミスト

から「オランダ病」と名付けられた。資源が豊富なために、輸出収入が増大

し、自国通貨の為替レートが高くなり、経済が疲弊することを云う。近年にな

って、資源大国として類似の構造にあるブラジルに「オランダ病」を予測する

エコノミストがいる。

 

1980年代

失業率はドンドン上昇して、1980年代初頭に危険水域とされる10%を

越え、最高14%にも達した。失業者は若年層に偏っていた。当時、アムステ

ルダムの街中には失業中の多数の「荒れる若者」が溢れていた。それは、異様

な光景で近づくと危険さえも感じられた。1983年に会社の上司とオランダ

出張した際に、アムステルダムのダム広場で偶然「荒れる若者」の爆弾騒ぎを

目撃したこともあった。若年層に失業者が多いのは「社会が病んでいる」のだ

と実感したものだ。今日の日本にも通底する深刻な社会病理である。

 

 ここで、後年有名になる「ワッセナー合意」が締結される。これは次回に。

 

                            (以下次回)