201121

西 村 三千男 記

 

「旅の雑記帳・オランダ」 

 

第24話 オランダ人の対日感情〜その1

 

前回の第23話では隣国ドイツとの微妙な関係を述べた。今回は、オランダ人

の対日感情を考察してみよう。私のオランダとの交流は1960年代に始まり、

永年に亘っている。ローカルに偏っていたかも知れない個人的体験ではオランダ

の対日感情は上々である。ネット上では正逆両方の意見が交錯しているが、独断

と偏見でズバッと割り切ってみる。

 

 オランダは大切な植民地であったインドネシアを、第2次世界大戦で日本軍の

占領、その後の独立で失った。また当時インドネシアに在住していたオランダ人

女性が日本軍の従軍慰安婦として徴用された等々の悪い想い出から年配のオラン

ダ人の一部には強い反日感情があると云われる。1971年の昭和天皇オランダ

訪問の際に不敬事件が起こった原因とされている。

 

 歳月は巡って、2006年に皇太子ご一家が東オランダで静養された・・のは

記憶に新しい。皇室外交の一環であるが、雅子妃の転地療養を目的に、オランダ

王室側が招いたものであった。

 

江戸鎖国時代の日本は、長崎の出島を拠点として、オランダとだけ、通商航海

を行って、ヒト、モノ、カネの交流、西欧文化の導入を行っていた。日蘭友好は

リーフデ号の豊後漂着(1600年、関ヶ原の戦いの年)から始まった。江戸時

代は、国中の向学心に燃える若者達は蘭学を志し、オランダ語を学び、長崎へ、

オランダへと憧れていた。その時代の名残を示すものにオランダ語起源の外来語

がある。ランドセル、レッテル、スコップ、ポンプ、ペンキ、オルゴールなど。

 

 1965年9月に羽田空港から初の海外旅行に出た。空港の免税ゾーンで使用

出来る外貨は米ドルと蘭ギルダーだけであった。何故にそうなっているかは追求

しなかったけれど、とても不思議なルールとして今でも鮮明に憶えている。

 

日本史を多少でも知る大抵の日本人は長崎〜出島〜蘭学と結びつけてオランダ

のことを考えるが、普通のオランダ人はこんな事情は知らない。従って、日蘭友

好の歴史は、日本人の対オランダ感情に影響していることはあっても、オランダ

人の対日感情に影響していることはない。もちろん、日本に幾許かの関心を持つ

インテリ層はこれらの史実を知っている。かねて筆者と懇意のAKZOの友人達

は、誰もがその辺の歴史を詳しく知っている。

 

                              (つづく)