2011.2.4

西 村 三千男 記

 

「旅の雑記帳・オランダ」 

 

第3話 ヘンゲロ市〜その1

 

オランダの旧友、Mさんから昨日(2011.2.3)メールを受け取った。今年のGW後

半、5月6日(金)成田着で来日する予告である。今回はもう一人の仲間のDさんも

同道するという。この知らせによって、気が変わった。本シリーズの予定した掲載順

を急きょ変更し、ヘンゲロ市に関する数編を先に寄稿しよう。

 

ヘンゲロ(Hengelo)は、私にとって「通い慣れた町」と云えるくらい回数多く訪ねた

オランダの田舎町である。場所は前回のクレラー・ミュラー美術館の北東方向に直線

距離約90kmに位置し、やはりドイツ国境に近い。国境のオランダ側にある古都エ

ンスヘーデ(Enschede)の西に隣接している。ヘンゲロはアクゾーグループの製塩工業

とクロル・アルカリ化学工業の発祥の地である。地下の岩塩層が褶曲して、この地方

で最も浅くなっていることを発見して、その上に製塩〜食塩電解〜クロル・アルカリ

誘導体工業を総合展開していた。1970年代、この工場でモノクロル酢酸・MCA

製造の新連続法プロセスが開発され、第1号プラントが操業を始めていた。

 

 当時、その会社はAZC(Akzo Zout Chemie b.v.= Akzo Salt Chemicals)を名乗

り、アクゾーグループの製塩とクロル・アルカリ誘導品の事業を分担するカンパニー

であった(その後事業本部制に改組)。デンカとAZCはJV会社を設立し、日本で

この技術によりMCAを生産し、アジア〜大洋州で販売することを決めた。プラント

は電化青海工場内に建設されることになり、私は設計〜建設〜操業の全てを担当する

ことになった。当時、最若手の製造課長職であったが、実質的に大きな権限を持って

プロジェクトマネージャーの如く設計〜建設までもカバーしていた。操業開始は成田

空港の開港された1978年であった。冒頭に述べた、5月来日予定Dさんはそのス

タートアップ支援チームの一員としてヘンゲロから派遣されたフォアマンであった。

Mさんは、それより少し遅れて加わった2代目の保全担当主任であった。

 

ヘンゲロのプラントはオリジナル、青海工場はそのコピーを建設することになる。

設計〜建設の段階から、繰り返しヘンゲロ工場へ打合せに出向いた。操業を開始して

からも同様であった。しかし、操業スタートしてアッという間に、製造成績全般で我

が方が比較優位となり、ヘンゲロプラントを圧倒してしまった。安定操業すらも継続

出来ずに苦戦しているヘンゲロに対して、青海工場のプラントが順調に好成績を実現

したので、先方の経営トップにも注目された。自慢話になってしまうが、ヘンゲロの

関係者の間のみならず、AZC経営陣にも、西村は或る意味の有名人となった。先方

の社内報や工場史の冊子にも写真付きで記載され、コピーを贈られたがオランダ語で

読めない。

 

                             (おわり)