2011.2.4

西 村 三千男 記

 

「旅の雑記帳・オランダ」 

 

第4話 ヘンゲロ市〜その2

 

印象に残る3人の工場長のプロフィールを紹介する。

 

Dr. A. v. E.

Ph.D.である。ライデン大学教授からAZCへ転職した異色の経歴を持つ。工場長〜

副社長を経て、アクゾーグループのボードメンバーにまでなった。

1977年、ヘンゲロで初対面の日に夕食に招待された。食前酒のバーカウンター

で印象的な一言

Monochloroacetic Acid, such a simple molecule makes us friends!!

 

話が飛ぶが、日本で水銀公害が深刻な社会問題化して騒動となっていた1975年

頃のこと、ヘンゲロの水銀法食塩水電解工場は、世界で水銀対策の最も優れたプラン

トの一つとして日本でも知られていた(他には鹿島電解、岡山化成)。Dr. A. v. E.

の業績だと聞いた。

 

A.B.(Bさん)

前回触れたエンスヘーデ市にはトゥエンテ大学(Twente U.)がある。歴史は古くない

がオランダでは3番目の工科大学である。Bさんがトゥエンテ大学の学生として青海

工場に来訪されたのが初対面。大学の卒論テーマに、AZCの支援で

「化学プラントのメンテナンスコスト〜オランダと日本の比較〜

モノクロル酢酸製造プラントを実例として」

をとりあげて、フィールド調査するためであった。

我が方の予防メンテナスの思想とメンテナンスコストの経年減少カーブが彼の注目を

引いたのであった。

 2001年、私が電化の役員を退任した挨拶にヨーロッパ各地を巡回中、デュッセ

ルドルフのホテルでのこと。夫人同伴で訪ねてくれたMさんから、Bさんがヘンゲロ

工場長を退任する時期にちょうど当たるとして、退任セレモニーで使うから・・・と

ビデオカメラで数分間のスピーチを収録された。

その後、Bさんのご自宅を2回訪問している。

 

J.St.(Sさん)

第3話で、Dさんのことを1978年のスタートアップ支援チームのメンバーと紹

介したが、Sさんもそのメンバーであった。デルフト工科大学出身のエリート技術者

として、MCA連続製造プロセスに一家言を持っていた。スタートアップのトラブル

シューティングで、Sさんと私は何度か激論を交わしたが、毎回、西村の判定勝ちで

あったように記憶している。

2002年10月にヘンゲロ工場を最後に公式訪問した際には、Bさんの後任とし

てSさんが工場長であった。24年前の青海を懐かしんで、西村夫妻を大歓迎して下

さった。

 

付録として、工場長ではなく名物社長のうわさ話を・・・

アイソマーズ通信2005年号掲載の拙文 カムパリ からそっくり再録する。

 

v. d. W. 社長

オランダの某化学会社にファン・デア・ワールスによく似た名前の社長がおられた。この

W社長は私の仕事を格別に信頼して下さった。容貌魁偉の偉丈夫で、仕事の他に「飲む、買

う」にも達者であった。宴席でW社長は好んでカンパリのダブル・ダブル・ロックスばかり

を飲まれていた。若い頃、イタリアに駐在してクセになったと述懐されていた。宇奈月の料

亭でW社長を主賓とする宴席で仲居さんが飲み物の注文を聞いたのに対して、一寸キザでし

たが「Campari con ghiaccio senza soda ? 」と取次いだものだ。「おぉ、君はイタリア語

を話すのか?」、「いいえ、ポコポコ」。

 

                                  (おわり)