2011

西 村 三千男 記

 

「旅の雑記帳・オランダ」 

 

第5話 ヘンゲロ市〜その3

 

書いている西村にとっては思い入れタップリのエピソードであっても、読んで下さ

る方々を判りにくいヒューマンネットワークの迷路に誘い込んでいるかもしれない。

仕切り直してみよう。

 

アイソマーズのYさん、Oさんと西村の3夫婦で「70歳になったらフィレンツェ

で春夏秋冬を通して長期滞在してみよう」・・・というちょっと飛んでいる夢のプロ

ジェクトが嘗ってあった。やがて諸般の事情から、この夢は夢のままで終わった。然

し、本稿の話題の頃はまだ本気であった。3人の中で最も早く仕事から離れたのは西

村であった。70歳になるのは2005年、その前に、フィレンツェに長期滞在する

想定で、西村単独で現地の下調べを始めた。2001年初夏と2002年秋のヨーロ

ッパ旅行の主な目的はそれであった。感想をトスカーナ紀行(その1)と(その2)

として夢の仲間に報告した。アイソマーズ通信2003年号の連載「ポコポコイタリ

アーノ」第6回と第3回にも同文を転載した。

 

それらの旅行は、フィレンツェの下検分と併せて、現役時代のビジネスフレンドを

訪問し、会社役員を退任した挨拶廻りを兼ねた。2001年はオランダをパスする予

定であったが、このシリーズ第4話のBさんの項に述べたようにMさんが夫人同伴で

私の滞在するデュッセルドルフに訪ねてくれた。そこで、翌2002年にはヘンゲロ

を訪問すると約束した。

 

人生には思いがけない出来事がある。翌2002年秋のヨーロッパ旅行を計画して

いる最中にM夫人が心臓疾患で急逝されてしまった。その年10月のAZCヘンゲロ

工場公式訪問は、失意のMさん宅への弔問を兼ねることになった。Mさんのアレンジ

で訪問したヘンゲロでは旧友の皆さんから大歓迎を受けた。私が工場訪問している間、

家内を前工場長Bさんご夫妻が近隣の観光へ案内してくれた。夕食時には、時の工場

長であるStさんご夫妻が旧友を集めてディナーパーティを催してくれた。

 

 2003年は重症急性呼吸器疾患(SARS)の騒ぎのため海外旅行を自粛した。

2004年にはM夫人の墓参にMさんを訪ね、Mさんの車でクレラー・ミュラー美術

館やデルフトを探訪した。Bさん宅(郊外の豪華な邸宅)をも訪問した。今度はB夫

人が体調不良で「今回は何もお構い出来ないが、次回体調が回復していたら、何処か

素敵なスポットをご案内しよう」と云われたものの、その数ヶ月後にB夫人の訃報を

悲しく聞いた。2005年の「ドイツ化学史の旅・パート1」に先付けして、Bさん

宅への弔問とB夫人の墓参にヘンゲロ近隣を再訪した。

 

数年間にわたって、弔問と墓参という哀惜のオランダ訪問が続いたのであった。

 

                              (以下次回)