2011

西 村 三千男 記

 

「旅の雑記帳・オランダ」 

 

第7話 デルフザイル市

 

第1話で少し触れたが、北部オランダのデルフザイル市(Delfzijl)は化学工業都市

である。この地方に豊富に産出する岩塩と天然ガスは、天然資源の乏しいオランダの

数少ない資源である。これらの資源が発見された1960年頃から、これらの資源を

出発原燃料とする化学工業コンビナート開発が国策で進められた。AKZOグループ

にとっては、第3話〜第6話で紹介したヘンゲロ工場と並ぶクロル・アルカリ誘導体

事業の展開拠点である。後年、東ソー社がAKZOと組んでデルフザイル工業団地に

進出した縁で、新南陽市とデルフザイル市は姉妹都市となっている。

 

第1次石油危機の1973年頃、電気化学社はデンカクロロプレンの製造プラント

をヨーロッパに新設しようと目論んでいた。国内既存のアセチレン法ではなく、新規

にブタジエン法へ製法転換しよう、それを海外でやろうというのであった。ECR計

画(ヨーロッパCR計画)と呼んでいた。イタリア、オランダ、ベルギー、スペイン

の候補地を比較検討して最終的に工場立地としてデルフザイルを選んだ。プラントの

用地は新規に造成されて直ぐにでも契約出来る態勢であった。ユーティリティの供給

態勢も整っていた。原料ブタジエンはロッテルダムから搬入することとなるが、塩素

と苛性ソーダは近接するアクゾー社の電解工場からパイプで購入出来る。

 

当時、私はデュッセルドルフ駐在員から帰任して5〜6年、工場の開発研究部で副

主任研究員職にあった。欧州駐在員経験者としての「土地勘」もあり、クロロプレン

の製造プロセスを熟知するエンジニアとして、このプラント立地の現地調査メンバー

に加えられた。行く行くはECRのプロジェクトメンバーになると想定されていた。

 

このECRプロジェクトを最も熱心に推進していたのは当時のH社長であった。仕

事熱心なワンマン社長であった。社内では、社長の出席する会議を「御前会議」と陰

口していた。あろうことか、私はその「御前会議」でECR計画に正面から反対を唱

えてH社長の不興を買ったのであった。列席する幹部社員の面々もECR計画の強引

な推進に不安を感じながらも、ワンマン社長の熱意に異を唱えられずに居た。私が単

騎で反対した理由は複数あるが、ここでは立ち入って説明しない。

 

 ワンマン社長に面と向かって反対した私は、直ぐにECRプロジェクトメンバーか

ら外された。その数ヶ月後に或る製造課長ポストに登用された。結果論ではあるが、

この課長ポストは、同時に下記2件の重要な新規プロジェクトの責任者を兼ねる要職

となり、私に会社人生で最も充実した6年間をもたらしたのであった。

1.脱水銀法のためのイオン交換膜電解を世界初で商業利用するプロジェクト

  (旭化成からの技術導入)

2.第3話に既述の、電化〜アクゾーのJV会社でモノクロル酢酸を製造販売する

プロジェクト(デルフザイルの電化クロロプレンプラントへ塩素供給に関する

契約交渉をする中で、副次的にモノクロル酢酸のJV会社設立へ合意)

 

その一方で、H社長肝煎りのECRプロジェクトのFSは関係者の2年間にわたる

努力の甲斐も無くネガティブとなった。

 

                              (おわり)