世界美術館紀行「森に実った夢の館 クレラー-ミュラー美術館」

 オランダのクレラー-ミュラー美術館 (Kröller-Müller Museum) は、世界有数のゴッホコレクションを誇る。この美術館を設立したのは、オランダの貿易商アントン・クレラーの妻、ヘレーネ・クレラー-ミュラーである。ヘレーネが美術品蒐集に乗り出したのは、38歳の時にゴッホの「四本のひまわり」の絵に遭遇してからだという。それ以来、彼女はゴッホの絵画を蒐集すると共に、美術コレクターとして名を上げていった。やがて彼女は単に気に入った作品を集めるだけでなく、近代美術史の方に興味が広がり、美術館の地下には彼女が集めた膨大な資料が収容されている。彼女は美術史の観点から、時代を代表する絵画を集めるようになり、またその興味は中近東や日本にまで広がっていた。

 やがて芸術家のパトロンとして有名になった彼女は、有望な画家の発掘にも乗り出す。彼女が目を付けたのが、抽象画家ピート・モンドリアンであり、彼はヘレーネと契約を交わしたことで、やがては現代芸術の巨匠と成長する(私は個人的には彼の作品には全く面白味は感じないが)

 彼女は蒐集した絵画を自宅に展示し、週に二回公開していた。しかしそのような公開方法に不満を感じた彼女は、美術館の建設を考えるようになる。彼女が美術館建設の候補地に考えたのが、夫が狩猟場に使っていたホーヘ・フェルーウェの森である。ここに彼女は、壮大な美術館を建設する計画を立てる。

 しかし彼女のこの計画は実現しなかった。不況の影響で夫の貿易会社が打撃を受け、夫妻は破産の危機に直面し、不動産は売却を迫られた。コレクションだけは借金のかたに取られることなく守りたいと考えた彼女は、すべてのコレクションを国家に寄贈することを決める。その時に彼女が条件として出したのがホーヘ・フェルーウェの森に美術館を建設することである。こうして当初の彼女の計画と異なり、こじんまりとして機能的な美術館が建設されることとなった。これが今日のクレラー-ミュラー美術館である。彼女はこの初代館長に選ばれたが、美術館開館の翌年1939年12月、彼女は病に倒れ、70年の生涯を終える。彼女の棺は美術館の展示室に運ばれ、彼女が愛したゴッホの作品に囲まれて最後の一夜を過ごしたという。

 美術館の建設にかけるヘレーネの情熱が伝わってくるエピソードである。欧米ではこのように、金持ちのコレクターが自分の財力で作品を集め、その晩年や死後には美術館を建設したり寄贈したりする形で作品を公開する例が多い(だからこそ、日本のどこぞの成金社長がゴッホのひまわりを自分の棺に入れて欲しいと言ったら、世界中から非難が集中したのだ。)。美術品は、個人の所有物であっても人類共通の財産であるという認識がなされているからである。この辺りは日本とは文化的風土が違うようだ。