化学者展を見て

‐ここにも、リービッヒ一門の影響が‐

 

武山高之

 

今、上野の国立科学博物館で「化学者展-ニッポンの近代化学の夜明け」が開かれている。期間は、平成23923日~1211日である。

先日、見に行ってきた。とくに、日本の近代化学黎明期の化学者たちとして、高峰譲吉・桜井錠二・池田菊苗・鈴木梅太郎・真島利行の経歴・業績に興味を持った。

このうち、前二者の高峰・桜井はイギリスに留学し、後三者の池田・鈴木・真島はドイツ・オーストリアに留学している。ところが実は、この五人ともリービッヒ一門に学んでいることに気がついた。

 ドイツ・オーストリアに留学した池田はオストワルド(1909年ノーベル化学賞受賞)に、鈴木はエミール・フィッシャー(1902年ノーベル化学賞受賞)に、ドイツ・オーストリアに留学した真島はリチャード・ウイルシュッテター(1915年ノーベル化学賞受賞)に学んだ。留学先はいずれもリービッヒ一門の著名な化学者である。

 高峰と桜井はA.W.ウィリアムソン(18241904)の伝手でイギリスに留学している。ウィリアムソンはギーセンに学びリービッヒの弟子にあたる化学者であり、幕末に伊藤博文・井上馨ら長州の5人の若者が密留学した時に、庇護を受けたことで知られている。

 

 我々は日本の近代化学の源流を19世紀のドイツに求めて、「ドイツ化学史の旅」をギーセンのリービッヒ博物館から始めたことの意義を改めて、思い起こしている。

 

以下、黎明期の化学者5人それぞれについて詳しく述べたい。

 

高峰譲吉18541922

工部大学校応用化学科卒業後、1880年に英国グラスゴー大学に留学した。当時、グラスゴー大学の工学水準は世界最高級であった。

工部大学校は山尾庸三の建議で設立された。工部大学校の教師のほとんどが英国人であったのは、工部省の伊藤博文、山尾庸三ら長州出身の官僚が幕末に英国留学を経験し、ロンドン大学ウィリアムソンに学んだことによる。

高峰は1886年に渋沢栄一とともに、東京人造肥料会社(のちの日産化学)を設立した。1894年には「タカジアスターゼ」を発明し、1900年に助手の上中啓三と一緒にアドレナリンの結晶化に成功した。1912年には三共の初代社長に就任した。

 

桜井錠二18591939

大学南校でお雇外人の英国人R.W.アトキンス(18501929)に学んだ。アトキンスはロンドン大学ユニバーシティー・カレッジでA.W.ウィリアムソンの助手を務めていた。桜井は1876年に文部省第2回留学生として、ロンドン大学に留学し、化学をウィリアムソンに学んだ。

 

池田菊苗18641936

1885年に東京大学理学部化学科に入学し、桜井錠二の影響を受け、理論化学を専攻。1889年卒業した。

同級生には、ニッポニウム(実は原子番号75番レニウム)の研究で知られている小川正孝がいた。小川は希ガスの研究で知られている英国のラムジー(1904年ノーベル化学賞受賞)に留学した。ラムジーのまたリービッヒの弟子の英国人トーマス・アンダーソンの流れを汲んでいる。

池田は帝国大学理科大学助教授時代の1899年に、ドイツのオストワルドの研究室に留学した。帰国後、東京帝国大学教授に昇進。1908年にグルタミン酸塩が旨味の成分であることを発見し、製造法の特許を確立した。鈴木三郎助がこれを『味の素』として、企業化した。

 

鈴木梅太郎18471943

1896年に東京帝国大学農科大学を卒業した。農科大学では、古在由直に無機化学と肥料学を学んだ。古在は後に東京大学総長になり、足尾鉱害問題では住民側にたって、活躍した人でもあった。

1903年に、鈴木はベルリン大学のエミール・フィッシャーの教室に留学し、帰国後にはオリザニン(現在のビタミンB1)を発見した。

 

真島利行18741961

1890年に第一高等学校入学し、1896年には帝国大学理科大学純正化学科入学した。第一高等学校では、久原躬弦に有機化学を学ぶ。バイヤー、エミール・フィッシャーの研究に学ぶ。

1907年にドイツ・キール大学のカール・ハリエスの研究室に留学した。1909年にはチューリッヒ工科大学のリチャード・ウィルシュテッターの研究室に移る。1911年帰国後、東北大教授になり1917年ウルシオールの構造決定をやり遂げた。その後、東北大、北大、阪大の理学部創設や阪大総長を歴任した。

 

参考資料

1)国立博物館編「日本の科学者技術者展シリーズ第9回『化学者展‐ニッポンの化学の夜明け」資料(2011.9.23

2)上野益三『お雇外人‐自然科学』(昭和43年)