宇田川榕菴『舎密開宗』を読む(5)有機化合物の元素分析

 

武山高之(2011.8.24記)

 

『舎密開宗』内編18巻のうち、16巻~18巻の3巻のみが有機化合物が扱っている。まだ、無機化学中心の時代であった。

その中で注目されるのが、クエン酸、没食子酸、リンゴ酸、酒石酸の有機酸の元素分析が記載されていることである。リービッヒ以前の元素分析の一例である。前に述べた『化学新書』の川本幸民らの、江戸の化学者にも参考になったであろう。

 

その分析結果を現代の値と比較して、表1に纏めた。

 

表1 『舎密開宗』に現れる有機化合物の元素分析例

舎密開宗に記載

現代の表記

 

 

 

分子式

示性式

酒酸

炭素4亜、水素

2亜、酸素6

酒石酸

C4H6O6

HOOC‐CH(OH)‐CH

(OH)‐COOH

檎酸

炭素4亜、水素

3亜、酸素6

リンゴ酸

C4H6O5

HOOC‐CH(OH)‐CH2‐COOH

枸酸

炭素4亜、水素

2亜、酸素4亜

クエン酸

C6H8O7

HOOC‐CH2‐C(COOH)(OH)‐CH2‐COOH

没食酸

炭素6亜、水素

3亜、酸素3亜

没食子酸

C7H6O3

C6H2(OH)3 COOH

 

現代の分析値と比較すると、いずれの場合も水素の原子数が大幅に小さくなっていることに気がつく。詳しいことは分からないが、元素分析の基礎となった水素の原子量が大きく見積もられていたことに大きな原因があったと思われる。

 

当時まだ、各原子の原子量が十分には定まっていなかったと思われる。ヘンリーが原著を出した1799年から4年後の1803年にドルトンは、

2種類以上の原子が化合物を作る時は、各々の原子の間には、簡単な整数比が成り立つ」という有名な「倍数比例の法則」を出している。

同じ1803年に、ドルトンは表2に示す「原子量表」も出している。

 

表2 ドルトンの原子量表

原子

ドルトンの原子量

現在の原子量

水素

炭素

12

窒素

14

酸素

16

 

2を見ると、他の原子に比較して、水素の原子量の相対値が現代の倍に見積もられている。この辺りが、ずれのもとになっていると思われる。

 

ドルトンから18年後の1821年、スエーデンのベルセリウスは酸素を100として、より厳密な原子量表を出している。

1860年(万延元年)に川本幸民が刊行した『化学新書』では酒石酸の元素分析は炭素四水素四酸素五とより現在値に近付いているという。原著は1846年にドイツのシュテックハルトが著した『化学の学校』である。

さらに、原子量表の精密化の論争は1860年頃まで続いたようである。

リービッヒとヴェーラーの異性体の発見、ケクレの炭素の4原子価説(1858年)、ベンゼン構造の提案(1865年)は厳密な元素分析の結果をもとに始めて出されたものであろう。

 

(第5回 おわり)