2011年 洛禎OB会(その3)  

 

伊藤一男 (2011-11-15

 

 3)古川 安「喜多源逸と京都学派の形成」に対する鶴田先生のコメント

OB会の席上、鶴田先生から出席者全員に『化学史研究』37(2010),117の上記論文の別刷が配られました。

 

古川安先生はわれわれよりもひと回り若く、現在は日本大学生物資源科学部の教授であり、今年度から化学史学会長も務められています。東工大を卒業後、帝人に入社されましたが、感ずるところあって米国・オクラホマ大学に留学、科学史の研究で学位を取得されたという変わった経歴の持ち主で、シュタウディンガーやカローザースの研究家として知られています。

 

鶴田先生は、古川先生と個人的にも親しい間柄で、われわれアイソマーズの「ドイツ化学史の旅」の成果を古川先生に紹介してくださったのが縁で、われわれも古川先生をよく存じ上げています。

 

前置きが長くなりましたが、古川先生は上記の論文を通じて工業化学における京都学派の形成に喜多源逸が果たした役割とその背景を明らかにされました。上記の古川先生の論文にいたく感激した私は、昨年3月、日本化学会で特別講演される古川先生を大阪・近畿大学まで「追っかけた」ことがありました。また、昨年(20104月)、関東アイソマーズ有志で「喜多源逸を語る会」を催したこともあります。

 

鶴田先生も上記の古川先生の論文を高く評価され、OB会の席上、次のようなコメントを話されました。

 

*化学史家としての古川先生評 <古川先生の優れたところは、単に文献を寄せ集めてストーリーを組み立てるのではなく、こまめに一次資料を集めるとともに、多くの関係者に精力的にインタービューして生の情報を得るための努力を惜しまないところである。自分もインタービューを受けたし、喜多先生宅の元お手伝いさんにもインタービューしている。なかなか真似のできないことである。また、シュタウディンガーの研究に際しては、未亡人にインタービューするためにドイツ・フライブルグにまで飛んでいる。>

 

        古川先生が喜多源逸に関する論文を書いた経緯について。 <京大工化系の層の厚い教育研究の場が戦前からすでに創られていたのは、喜多源逸先生の先見性と卓越せる指導力によって実現されたといっても過言ではないのに、1998年に発行された京都大学工学部化学系百年史『伝統の形成と継承』には、喜多先生の業績がほとんど記述されていなかった。これに不満を抱いた稲垣博先生(京大名誉教授、故人)が古川先生に喜多源逸に関する論文の著述を託した。>

 

稲垣博先生はかつてドイツ・フライブルグ大学に留学していたのが縁で、古川先生との接点があったらしい。 *鶴田先生に対する伊藤の質問。「京大工化系の教育研究に多大な尽力をされ、多くの優秀な弟子を育てられた喜多源逸に関する論文は、本来、京大で喜多先生から直に教わった方が著述されるべきではないでしょうか?」それに対する鶴田先生のご返事。

 

<喜多門下生には優秀な弟子が多いので、お互いに遠慮し合って、却って書き辛かったのではないでしょうか。そういう意味では、古川先生のような第三者の方が適していたと思われます。また、京大工業化学科入学当初の自分自身の喜多先生に対する印象を述べるなら、先生は田舎のオッサンという感じで、講義はお世辞にも上手いとは言えず、黒板の字も乱雑で講義内容もあまり面白くなかったです。「あの先生の講義、面白くないなー」と思いながら聴いていました。ですから、喜多先生に関する論文を書くという発想は自分には浮かんでこなかったです。半年か一年してやっと、喜多先生が偉大な先生であることがわかりました。>                              おわり