2011

西 村 三千男 記

書評:京都療病院 お雇い医師 ショイベ 〜〜滞日書簡から〜〜

(森本武利編著/酒井謙一訳 思文閣出版 2011年5月刊)

 

この本は編著者から恵贈された。編著者、森本武利さんは評者、西村と彦根東高校で

3年間同級生であり、それから60余年来の畏友である。京都府立医大で生理学一筋に

専攻研究され、立派な業績をあげられた。定年退職後は神戸女子短期大学のオーナーか

ら請われて学長に就任(後に神戸女子大学学長をも併任)された。超多忙の中で本書を

上梓された経緯は「はじめに」と「あとがき」に述べられている。

 

書名にあるショイベ(Dr. Botho Scheube, 18531923)はドイツ東部のライプツィヒ近郊ツ

ァイツ市生まれ、ライプツィヒ大学卒の医学博士である。京都療病院にお雇い外人医師

として招聘され、18771881京都に滞在し、京都府立医科大学創立の基礎つくりに大いに

貢献した。

 

この時代の京都は東京遷都の直後で、人口が急減少し経済的にも衰微していた。洋学

に依る殖産興業を図るべく洋学所を設けた。お雇いドイツ人化学者ワグネル(注1)と

ドイツ語教師レーマン(注2)を加えたドイツ人仲良し3人組が同じ時期に京都で活躍

した。3人は互いに近くに住居を構え、休日の行楽を共にするなど、頻繁に親しく交流

していた。京都府知事が旧新交代し、新知事から3人が解雇されたのは同じ年(1881)であ

った。なお、ショイベとワグネルの両氏が京都に着任したのも同じ年(1877)であった。

 

 本書の内容はショイベが故郷の母に宛てて月に2回のペースで書いた書簡集である。

異国で働く若き医師が肉親に書く近況報告であり、それが130余年後に翻訳出版され

るなどは全くの想定外であったに違いない。つまり、この書簡集は、当時の京都の姿、

日本の姿、日本人の生き様について、ドイツ人の目で観察したままを、何も飾らないで

綴ったものと受け止められる。

 

手紙に書かれている内容は多岐に亘っている。病院のこと、診察や講義のこと、通訳

や使用人(料理人、人力車夫、召使い)のこと、自宅の様子、飲食のこと、祇園祭等の

イベント、府知事や府役人との折衝、招待されたセレモニーの珍風景、神戸のドイツ総

領事やドイツ系貿易商社との交流、ドイツ人仲間との会食や休日の行楽(保津峡下り、

高雄の紅葉狩り、修学院離宮、比叡山など)、旅行(神戸、東京、熱海)等々である。

手紙の中で使われている単位には違和感をおぼえる。気温の目盛は列氏温度(注3)、

長さはフィート、面積は平方キロメートルとまちまちである。母親が理解し易いように

書こうと配慮しているのであろう。

 

本書の構成は第�部が書簡集である。母親から読みにくいと苦情を寄せられたことを

窺わせる文面もある。読み難かったであろう手書きのドイツ文字の書簡をドイツ文学者

・京都工芸繊維大学・酒井謙一教授が克明に翻訳されている。

 

第�部では編著者が第�部の書簡集を基データにして、ショイベの日本滞在記録と日

本での医学上の業績を簡潔明瞭に整理されている。引用一次資料のリストを付けて専門

史家の研究に供すると共に、明治初期の京都及び日本全体の医療事情や社会経済的な時

代背景を一般読者に向けて解説している。また、巻末の「年譜:ショイベとその時代」

は京都で同時代に活躍したドイツ人仲間のワグネル、レーマン、またライプツィヒ大学

で同門の先輩であり東京大学医学部の父となるエルウィン・ベルツの年譜、関連する日

本人、岩倉具視、森鴎外、鈴木梅太郎等のデータも含めてあってすこぶる便利である。

 

本書は第�部から先に読んで、その後に第�部を興味の赴くままに何処からでもパラ

パラと拾い読みするのが評者のお薦めである。書評としての第�部の内容紹介は評者の

力不足で散漫になってしまった。

 

注1)ゲッティンゲン大学出身の理化学者ワグネル(Dr. Gottfried Wagner, 183192

1868年に来日し、佐賀(有田)、東京(東大、東工大の前身校)、京都等で多面的

に活躍した。アイソマーズ通信2007年号に紹介している。

アイソマーズ・ドイツ化学史の旅パート2の参考資料http://isomers.ismr.us/isomers2007/Ritter1.htm

 

注2)カールスルーエTHの土木科出身の技術者レーマン(Lehmann Rudolph, 18421914)

造船技術指導者からドイツ語教師へ転身、 本邦初の独和辞典編纂(1872)、

後に日本のドイツ東洋文化協会会長、教え子グループが京都薬科大学を設立。

 

注3)列氏温度(レオミュール度)は18世紀に摂氏温度(セルシウス度℃)が考案

されるまでの短い期間使われた。現在では殆ど使われていない。

 

(おわり)