2011

西 村 三千男 記

渋柿の思い出(2010年の補遺)

 

 昨年12月の中村さんのニューヨーク紀行は渋柿の話題で締め括られている。読後の感想

として、子供の頃の渋柿の思い出を寄稿しようと思いながら、グズグズしている内に年が

明けてしまった。

 

生家の柿の木

私の生家は鈴鹿山麓の農山村にある。その村ではあちこちが柿の木だらけである。商品

として栽培しているのではない。先祖代々、“おやつ”になるような果物を自給自足する

ために、屋敷地や畑地に、種々の果物の木(柿、梨、栗、梅、ザクロ、アンズ、スモモ、

ナツメ、ビワ等々)を植えてある。中でも柿の木が種類も、本数も格別に多かった。甘柿

の木も渋柿の木もあった。子供たちは甘柿が熟すのを見計らって、勝手に採って、勝手気

ままに食べる習慣であった。熟す前の半分渋い甘柿は、決して食べないように親から注意

されていた。中村さんの記述されているように、食べると便秘するからである。

 

渋柿には大粒、中粒、小粒の専用の品種があり、それぞれ別の食べ方があった。干し柿

にする中粒が一番沢山採れる品種であった。

 

吊ん干し(ツルンボシ=干し柿):中粒

中粒の標準的なサイズは大人の握り拳くらいであった。ヘタに枝をTの字型に残して、

皮を剥いて、その2ケをシュロの葉を細割きにしたもので30センチくらいの長さで連結

する。我が生家では二階の軒下に竹竿を通して、それにこの2ケ組をズラリと振り分けて

並べて干す慣わしであった。均等に干すために、途中で2ケ組の前後、上下を振り替えて

調節していた。日数が経つとだんだん黒くなり、表面に白い粉が生じて食べ頃になった。

 

熟(う)まし柿:大粒

この品種は、中粒の標準サイズの3倍くらいの大きさであった。キズが無く、スガタ、

カタチの整った果実だけを選別し、モミ殻を敷き詰めた浅い箱に並べ、納屋の棚等に静か

に放置する。日数が経つとだんだん赤く熟柿状となる。真冬に食べる「熟まし柿」は最高

に美味しい、贅沢なおやつであった。

 

醂(さわ)し柿:小粒

上述の中粒、大粒以外の「その他大勢」品種の渋柿は「さわし柿」として食べた。中村

さんの「樽柿」に相当する。「さわす」の漢字表記は、味醂の「醂」の字が当たる。多分、

古くから渋抜きにはアルコールが使われて来た証左だろう。しかし、我が生家の渋抜き法

はアルコールを使わなかった。渋柿をザルに入れたまま、ぬるま湯に1〜2昼夜浸漬する

方法であったと思う。「さわし柿」は甘柿よりも食味が優れていた。食べきれない甘柿が

木に残っているのに、手間をかけて渋柿の渋を抜く理由である。

 

(おわり)