2011

西 村 三千男 記

書評:幕末日本探訪記〜江戸と北京(講談社学術文庫)

(原著Robert FortuneYedo and Peking 1863

(三宅馨訳 「江戸と北京」廣川書店 1969刊から復刻 1997

 

今年の春先、桜の品種のソメイヨシノの由来を説明するコラムが、この本を紹介して

いた。ソメイヨシノのソメイは江戸時代に造園業が盛んであった染井村(現在の豊島区

駒込)に因んでいる。この本の原著者の英国人が、染井村の造園業を19世紀の世界最

大規模、最高レベルと激賞しているのである。これまでに、この本の紹介や書評は繰り

返しあちこちで目にしていたが、手にとって読んだのは今春が初めてであった。

 

先ず、素晴らしい翻訳を賞賛したい。翻訳者・三宅馨氏は武田薬品工業副社長〜会長

を歴任した薬学博士である。大学の恩師である東大薬学部名誉教授・朝比奈泰彦博士に

慫慂されてこの面倒な全訳に取り組んだ・・・と「訳者はしがき」の中で述懐されてい

る。各種鑑賞植物の正確な名前と学名などの訳語には厳密さを保ちながら、美しい日本

語となっている。高度の内容であるのに、すらすらと読み易い。

 

 先日(2011.5.20)、東工大の科学史サロンに伊藤一男さん、山本經二さん

と参加して、堤憲太郎特任教授の「スイスと日本の近代化学」を聴いた。偶然、その中

にこの本の翻訳者・三宅馨氏の名前が、恩師の東大薬学部名誉教授・朝比奈泰彦博士と

併せて紹介されていたことが、ここに書評を寄稿する動機となった。

 

原著者のロバート・フォーチュンはスコットランド生まれの「プラントハンター」で

ある。プラントハンターとは17〜20世紀に有用植物や園芸植物を求めて、ヨーロッ

パから世界各地を探検旅行した人々のことである。フォーチュンは中国の「茶の木」を

インドへ大々的に移植したことで知られる大物ハンターである。インドが紅茶の大生産

地になり、英国が紅茶の元締めとなったのはフォーチュンの功績とされている。

 

 フォーチュンは1860年とその翌年の2回、鎖国から開国した直後の日本へ来訪し

た。植物学者であり、非凡な文明批評家でもある著者が観察した幕末の日本の姿〜実態

を挿絵入りで詳細に記録したものである。それ以前にシナ(中国)を探訪しているが、

日本とシナとの公平な対比をも付記していて、原著の書名は「Yedo and Peking」と

なっている。

 

 プラントハンターであるから、ヨーロッパ人にとって珍しい植物を探し求めて江戸の

町中を積極的に探訪している。その一方で、江戸の歴史や政治、文化、市井の庶民生活

等にも多大なる関心を持ち、時には挿絵付きで克明に記録している。寸法、重さの表記

は英国風にフィート、ポンド法で、距離はマイル、面積はエーカー表記である。広範多

岐にわたる記録の中で、プラントハンティングのハイライトは染井村に軒を連ねる園芸

店群の紹介と植物の買付が出色である。珍しい品種を見つけると、即断、即決して、買

い付けたものは直ちに宿舎に運ばせるのである。英国へ船積み出荷するまでの間、宿舎

の庭に仮植えすることまで述べている。

 

 フォーチュンは日本の庶民が「草花を愛する国民性」を持っていると紹介している。

貧しい階層の大衆が、ネコの額ほどの狭い庭にも草花を咲かせていることに驚嘆するの

である。フォーチュンの記述は単純な紀行文に止まらない。彼が来日する直前の「桜田

門外の変」井伊大老暗殺事件についても鋭い論評を加えている。また帰国後、この本の

原著を上梓する前に起こった「生麦事件」についても、外交問題として加筆している。

滞日中に英国公使館の火災に遭遇して、当時の日本の極めて貧弱な消火設備、しかし消

防隊の整然たる消火活動、居合わせた市民は混乱、暴徒化することなく、略奪が起こら

ない不思議等々を記述している。地震も体験して、地震国日本の歴史上の大地震、安政

の群発大地震、慶長の大地震、瀬戸内の大津波にも言及している。

 

東海道の品川宿の次の宿場「梅屋敷(訳者がMae-yaskiから解読)」の記述も詳しい。

梅の木の庭園と茶店の接客婦を愛でている。ここは西村の現住所に近く、掛かり付けの

歯科医院の所在地でもある。

 

(おわり)