パーセポリスの歴史

 

パーセポリスは古代ペルシャの都市で、ギリシャのパルテノンを思わせる複数の巨大な宮殿, 寺院、墓の遺跡がある。現在のイランのほぼ中央で、ペルシャ湾の北端から東へ数百キロ東に行ったところにある。

 

ペルシャ王国は紀元前7世紀には世界一強大な王国となり、エジプトまでその勢力が及んだ。ペルシャ王国の最盛期は521BCから480BCに及ぶ3人の王、つまりダリウス一世、その子供のゼルゼス一世、さらにその子供のアルタゼルゼス一世、の時代に訪れる。パーセポリスは古代ペルシャの最盛期ダリウス一世王とゼルゼス一世によって立てられた。

 

ペルシャ王国にとっての最大の敵はギリシャであった。何度かの大きな戦いの後、ゼルゼス一世の時代にギリシャとエジプトの連合軍との戦いを鎮圧したもののその後国力を失い、330BCにはギリシャのアレキサンダー三世に占領され、ペルシャはギリシャに支配される結果となった。330BCにパーセポリスはアレキサンダー三世の軍隊によって破壊され、動物の皮に記された多くの資料が焼き払われ、また美術品のほとんどがこのとき失われた。

 

しかし、古代ペルシャは官僚制度の発達した国で、また道路や郵便などの整備を徹底しておこない、戦争で勝ち取った領土にもこれを行った。ペルシャとの戦争で領土を占領されると、その土地ではペルシャの技術や文化が入ってきて、社会的基盤が発達する結果となった。このような古代ペルシャの政治の仕方はギリシャに受け継がれ、さらにはローマに引き継がれていった。

 

 

注1 ギリシャのパルセノンの建造は447432BCでパーセポリスより50年くらいあとで建造されたことになる。

注2 アレキサンダー三世は英語ではAlexisander the great、日本語ではギリシャのアレキサンダー大王と呼ばれる。ギリシャは民主主義の国で王は居なかっただったはずなのに、なぜアレキサンダー大王と呼ばれるのか。この点については次回の記事で書く予定。