VOC

 

前節で書いたように、オランダの国政は1600年から1800年にいたるまでの200年間に数多く大きな変革があったが、長崎のオランダ人と日本の関係はその影響を受けず安定したものであった。

 

このなぞの鍵は長崎にいたオランダ人はオランダ政府の役人ではなく、VOCつまりVeerinigde Oost Indische Compagnie, 英語ではDuch East India Company、という名の世界最初の株式会社であったことにある。

 

VOCのマーク

 

VOCは1602年に発足した。その2年前にEnglish East India Companyがすでに出来ていたが、VOCの規模ははるかに大きく強力であった。VOCはオランダのなかでは東アジア貿易の独占権を有し、また、戦争の開始、牢屋の所有、処刑権、国際規定、通貨鋳造権、植民地の設定などを含む準政府的権限を与えられていた。このことが、日本側から見ればオランダ政府代表が長崎に駐在していたのと同じ様に見える一方、私企業であるため、本国の政治体制が変わってもその影響をうけることなく、一定した政策をとり続けることができた。日本にやってきたポルトガル人はカトリックであったのにたいし、VOCの役員や従業員はすべてプロテスタントであったことも注目に値する。

 

William AdamsJan Joosten van Lodensteijn を顧問にした徳川政府が1609年にオランダに平戸で交易を許して以来1800年まで、日本と接触してきたのは全てVOCの業務であった。

 

しかし、18世紀後半になってVOCの利益は急激に減少した。また17801784の英蘭戦争に敗戦、1795年のナポレオンによるオランダ占領、に続きVOCの中でも内部で横領などが起こり1800年にVOCは解体した。その後VOCの業務や処理はオランダ政府が引き継いだ。したがって、1800年から明治維新の1860年までの間は、日本とオランダの関係は直接オランダ政府を通して行われたことになる。