山本有造著『「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟』書評

 

武山高之(2012.10.8記)

 

著者は山本經二さんの弟さんで、京大人文科学研究所の教授をされていた方です。ご著書を山經さんから送って頂き、読了しました。

 

幕末・明治初期の史料に現れるガワル、ガール、ガワール、ゴールなどと音訳され、職業も鉱山技師、領事、貿易商などと多岐に渉る人物に関する複雑な資料から、三人のガワー姓のイギリス人に絞り込み、彼らの日本での活動を読み解いた労作です。

 

書名からして、山經さんの紹介がなければ、化学屋の私は決して手を出さない本です。

ところが、読んでみると、幕末・明治初期の日本の化学史にまつわる記載が多く現れ、興味を感じました。まず、化学史に関心がある者に見慣れた写真が2枚出てきます。

 

一枚目は1863年(文久3年)、ロンドン大学化学教授ウィリアムソンのもとに密留学した伊藤博文(総理大臣)、井上馨(初代外務大臣)、山尾庸三(工部省、工部大学校創立)、井上勝(鉱山頭、鉄道頭)、遠藤謹助(造幣局長)の長州5青年の写真です。

この写真は、私たちに馴染みの山岡望『化学史談Ⅱ-ギーセンの化学教室』(昭和27年、内田老鶴圃新社)にも出てきます。ウィリアムソンはドイツ・ギーセンのリッビッヒのもとで学んだことのある人で、長州5青年は初め、彼のもとで「分析化学」を学んだと言われています。

 

二枚目は明治2年にオランダ人化学者ハラタマが大阪舎密局を開校した時の記念写真です。例えば、芝哲夫『日本の化学の開拓者たち』(2008年、裳華房ポピュラー・サイエンス)にも出てきます。ハラタマはリービッヒの弟子・フレゼニウスの「化学分析」をテキストにして、学生たち指導したと伝えられています。弟子の中には、日本の近代薬学の祖・長井長義もいました。

 

 いずれの写真も、アイソマーズ諸兄姉と一緒に「ドイツ化学史の旅」で訪ねたリービッヒの業績を日本へ伝えたことに関係した重要な証拠です。

 

これらの写真を見ていると、この著書の題名にある「鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟」が、私が関心を持っている化学史と何か関係がありそうに思えて、期待を抱かせました。

 

次に、著者が苦労されて読み解いた3人のガワー兄弟の在日期間と職業上の立場を、来日順に簡単にまとめてみました。

 

  エーベル・ガワー:1836年生まれ、三男。在日期間は1859年(安政6年)~1876年(明治9年)。外交官でイギリス領事などを歴任。

  サミュエル・ガワー:1825年生まれ、長男。在日期間は1862年(文久2年)~1865年(慶応元年)。ジャーディン・マセソン商会横浜支店長などを歴任。

  エラスマス・ガワー:1830年生まれ、次男。在日期間は1866年(慶応2年)~1880年(明治13年)。鉱山技師で佐渡金山や高島炭鉱等で技術を教える。

 

1863年(文久3年)の長州5青年の密留学を斡旋したしたのは、ジャーディン・マセソン商会であることは化学史の本でも知っていました。

しかし、実際に働いた人物が外交官・エーベルと商社マン・サミュエルのガワー兄弟だということはこの著書で初めて知りました。

 

 留学した5青年のうち、伊藤博文と井上馨は政治家として、近代日本の建設に貢献しました。あとの3人は、それぞれの分野で日本の近代化技術の基礎を築きました。

 

 鉄道と鉱山を学んでロンドンから帰国した井上勝1871年(明治4年)に政府の鉱山頭兼鉄道頭に就任しています。

 山尾庸三は英国留学の後半2年間は、ロンドンを離れて、産業革命発祥の地グラスゴー・ネピア造船で造船技術を習得し、夜はグラスゴー大学アンダーソン・カレッジの夜間授業に通い、化学などを学んだと伝えられています。

帰国後、1870年(明治3年)に工部省を創設、続いて幹部養成のための工部寮(後の工部大学校)を設立しました。工部大学校の卒業生には、化学者・高峰譲吉もいます。

私の手元に、株式会社トクヤマから頂いた『産業・人物史 探訪~トクヤマに関わりの深い産業と人物の軌跡~』(株式会社トクヤマ発行)という冊子があります。この冊子には長州五傑(長州5青年)のことが詳しく書かれています。その中に明治3年に山尾庸三が工部省を創設した時に述べた言葉が次のように書かれています。

「是より炭鉱あるいは鉱山に、我国未来の工業を発達せしめ富国の基礎を開く。我が工業の隆盛に赴けるも庸三の力の多しと為す」。

 山尾もまた、鉱山技術の重要性を強調しています。

井上勝も山尾庸三も鉱山技術に関心が高かったため、「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーと親交を持っていたに違いないと思われます。

 

 次に二枚目の写真は、オランダ人化学者ハラタマが開いた「大阪舎密局」の開校式の記念写真です。この写真に出てくるのは、イギリス領事であったエーベル・ガワーです。エーベルの交際の広さが窺えます。

この著書には、写っている13人の名前がすべて書かれていますが、化学史家の芝先生の著書では、化学者・三崎嘯輔、ハラタマ、オランダ人医学者・ボードウィンの名前だけが書かれており、エーベルの名前は出てきません。

 

 この著書を通じて改めて知ったのは、幕末・明治初期における西洋の科学・技術の導入に当たっては、科学者や技術者だけでなく、商社マンや外交官の働きも大きかったことです。

また、この著書を読み進んでゆくと、当時の科学・技術の導入を通じての日本人と西洋人の交流が活き活きと見えてくるように感じました。

 

山本經二さん、山本有造さん、有難うございました。