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英国の農業革命

 

英国の産業革命を考える時、その前に起こっていた農業革命の影響を無視することは出来ない。その理由は、農業革命が産業革命を引き起こす要因を作ったからである。

 

英国の農業の効率は18世紀に格段に上昇し、他のヨーロッパの諸国に比べ、英国の経済をはるかに豊かにした。その起因となったのは、畑のオープンシステムからクロズトシステムへの移行であった。オープンシステムというのは、各農家が個別の決まった農地を所有し使うのではなく、村全体で共有の土地を共同で耕し、各農家はあてがわれた農地を使う制度である。どこを使うかは毎年変わり、相談によって決められた。このオープンシステムは中世以来ヨーロッパ全体で行われていた。その理由は、畑を耕すには、耕運機を家畜に引かせて行うが、道具の費用が高くて各農家でまかなえないことが多く、村全体で共有したほうがやりやすいためであった。一方クローズトシステムでは、各農家は決まった土地を所有し、囲いを作って、他の農家は入ってこれないようし、毎年同じ土地を使うやり方である。

 

英国では12世紀から徐々にオープンシステムからクローズトシステムへの移行がはじまっていた。15-16世紀には羊の飼育が利益が上がるようになり、そのために多くの畑は牧場として転換されたことも、クローズトシステムへの転換の速度を高めた。17世紀には教会がクローズトシステムへ転換に異論をとなえたが、行政がこれを阻止した。19世紀初頭までには、クローズトシステムを支持する意見が主となり、1801年には、転換を法律的に正当化する制度が作られた。1850年までにはこの転換が終了した。

 

クローズトシステムへ転換によって起こった大きな社会的変化は、第一には農業生産量が格段に増大したこと、第二に零細農家は土地を手に入れることができないで農業から締め出しを食ったことである。クローズトシステムへの転換に際し、締め出される農家と土地を所有できた農家の間に過激な争いが絶えなかった。

 

クローズトシステムで農産物の生産量が増大したのは、各農家の判断と工夫で農作物の回転と肥料の使い方の改良が容易となったためであった。農地の輪作はいくつものやり方があるが、たとえば小麦を植えた次は豆類を作り、次の期間は休耕にするか、牧畜に用いる。土地を牧畜に用いる場合は柵が必要で、クローズトシステムでなければ出来ない。18-19世紀に、耕運機や脱穀機の画期的な改良が農業生産向上に拍車をかけた。英国の農産物の値段は安くなり、人工が急激に増加した。また牧畜と羊毛生産の生産急増とともに繊維産業が急速に発展した。それでも需要に追いつかず、機械の発達を促した。

 

この時代のフランス(18世紀ルイ16世の時代で、フランス革命以前)の農業ではこのような農業改革が起こらなかったのは、フランス農民は重い税を課されており、改革への意欲が起こらなかったためである。

 

ついでながら、アイルランドでは土地の所有の制度が英国とは全く異なり、農地の地主は英国に住み、農民はすべて搾取にあえぐ小作人であった。また農作物の回転を行わず、馬鈴薯だけを毎年作っていた。このことが、馬鈴薯の病気がアイルランド中に蔓延し、飢饉を起こす原因となった。リンゴのように農作物の回転を行えない場合でも近くに異なった植物をまぜて生やすと、回転と同じ効果があるという。

 

 中村省一郎 31-2012