皆さん
 
1/5付の弊メールでご連絡しましたが
2012年度化学史研究発表会は7/14(土)、15(日)に
ホテルサンルート徳山(山口県周南市)で開催されます。
 
今回、アイソマーズから西村が下記の講演題目で出講申込み済みです。
 「ドイツ化学史の旅(3)
 ー19世紀、ドイツの化学と化学工業立国ー」
 
講演要旨提出〆切りは3/24です。
講演要旨の原案(推敲不充分な素案)を添付します。
要旨の字数は全体で2000字以内と指定されていますので、
原案から約2/3に圧縮スリム化するのですが、
スリム化する前に皆さんのご意見を頂きたくよろしくお願いします。
ご意見は、内容、構成、体裁、誤りの訂正、提案など全て歓迎です。
3月10日(土)までにご連絡下さい。
皆様のご協力をお願いします。

 

 

講演要旨原稿

 

一般講演

ドイツ化学史の旅(3)

―19世紀、ドイツの化学と化学工業立国―

西 村 三千男(京大アイソマーズ)

「ドイツ化学史の旅」

京大アイソマーズ(京都大学工業化学科、1958年学部卒の同級会の愛称)は、これまで2005年、2007年、2010年の3回「ドイツ化学史の旅」を催行した。化学史研究発表会に毎年1件ずつ連続報告している。

今回はその第3報(―19世紀、ドイツの化学と化学工業立国―)である。第1報(―19世紀に活躍した化学者の足跡を訪ねてー)は2010年に伊藤一男が、第2報(―リービッヒ一門の発展と文部科学政策―)は2011年に武山高之がそれぞれ発表した。

19世紀ドイツの化学

19世紀初頭の英国は、産業革命を経て工業化が進展し超大国となっていた。一方ドイツは、ナポレオンの占領下、産業や社会全般が沈滞していた。化学を含む科学技術全般も英国やフランスに比べかなり遅れていた。その頃生まれた偉大な化学者、リービッヒ(1803)、ヴェーラー (1800)、ブンゼン(1811)等によって大学の化学教育が充実し、ドイツの化学は大発展して数十年で英仏を凌駕した。リービッヒ流とヴェーラー流の教育を受けた化学者の累計は各数百名、その孫弟子は数千人にも及んだ。1852年、リービッヒはマキシミリアン2世の招聘を請けてギーセンからミュンヘンに移り、第一線からはやや退いた。1860年の第1回国際化学者会議はカールスルーエで開催、その実質的な事務局長は若きエースのケクレ(1829)であった。彼はリービッヒの直弟子、当時はベルギー・ヘント大学教授であった。

タール系合成染料工業

リービッヒの一番弟子ホフマン(1818)は英国に招聘されてRoyal College of Chemistryの教授となっていた。ホフマンに師事していたパーキン(1838)が史上初の合成染料モーブを偶然発見(1856)したのはこんな時代であった。パーキンはこの発見からアニリンパープルの事業化に成功した。タール系合成染料の嚆矢となった。アニリンパープルの誕生は英国の繊維産業に歓迎され高価で取引された。英国内でパーキンの後を追う新規参入起業家が多数生まれた。英国の後をフランスとドイツが追いかけて、タール系合成染料の開発競争が激化する。ドイツでは合成染料のユーザー業界である繊維産業の盛んな地域に数十社のタール染料生産を目指す零細企業が生まれた。その中には揺籃期のBASF、バイエル、ヘキストなどが含まれていた。下述の事情から英仏に対してドイツが有利に戦いを進め、アリザリンの発明(1868)でドイツ優位が決定的となった。パーキンは大富豪となり、功なり名を遂げて、1874年に事業を売却し引退した。1880年頃迄に後継の数百種のタール系合成染料が上市されたが、ドイツの勝利、英仏の敗退が確立された。そして零細企業として出発したBASF、バイエル、ヘキスト各社は、創業十数年で既に数千人規模の優良大会社に育っていた。

ドイツが圧勝した原因分析

タール染料工業は、技術は英国生まれ、主原料のタール留分、副原料の酸・アルカリともに供給力は英国優位、ユーザーの繊維産業も圧倒的に英国優位であったのにドイツが圧勝したのは何故か?

製造設備はバッチ式反応装置と精製装置の組み合わせの、多目的プラントである。系を洗浄すれば他の類似品の製造にそのまま使える。後続新製品を製造する際、その都度設備投資をする必要はない。コルベン試験で成功した試作品は即、ユーザー供試品となる。新染料を試作する有機合成のウデ次第でスピーディに新製品を上市できる。①ドイツの大学ではタール染料の基礎化学を研究し、染料製造会社には草創期から有力な化学者が幹部または共同経営者として加わっていた。産学協同の素地があった。②品質向上もコストダウンもプロセス改良する化学者のウデ次第であった。ドイツにはリービッヒ流の教育を受けたが、大学やTHの教官には就いていない多数の化学者が、在野でその能力を充分には活用されずに存在した。彼等にとって新たに急発展するタール染料工業は活躍の場となった。③新興国ドイツの化学者達はジャーナルを通じて英仏の最新情報をウオッチしていたが、英仏の化学者達はドイツのジャーナルを軽視する傾向にあった。④この時代のこの分野に限定すればドイツの起業家精神は極めて旺盛であった。⑤プロイセンの連邦特許制度が整備されたのはタール合成染料開発競争の終盤、1877年であった。特許制度の不備が後発の新規参入を許した。ドイツ国内で競合し、切磋琢磨して強くなった。フランスでは物質特許を厳格に運用したために新規参入は途絶えた。⑥原料物流に優位なライン、マイン河畔に立地したBASF、バイエル、ヘキストが勝ち残った。⑦英国では元祖パーキンが引退した後、有力な後継起業家が居なかった。

ドイツの化学工業立国

タール合成染料工業の先導でドイツは産業大国となり、国力を充実した。20世紀の経済大国、軍事大国へとつながってゆく。やがて、BASF、バイエル、ヘキストなどはIGファルベンに統合されて、世界規模で業界の覇権を握るようになった。其処に至る前に、リービッヒ等による化学教育改革から、ドイツでは化学が社会的に尊重されるようになっていた。英国、フランスその他の諸国とは異なっていた。

先行研究があった。本報をまとめるに当たって次の2件を参考にした。加来祥男は経済学者の視点から、モーブ発見、タール系合成染料の開発競争、ドイツの勝利とドイツタール合成染料工業の成立、ドイツ化学工業における独占体形成の過程を分析研究した(1)。山本明夫は化学史家の視点から、19世紀の英国とドイツの化学工業の盛衰、英国からドイツへ国力のシフトの起きた理由を分析し、「19世紀ヨーロッパの歴史に学ぼう」・・と世に問うた(2)

 

旅の仲間:伊藤一男、木下嘉清、故・川崎幸雄、武山高之、中村省一郎、藤牧靖、

     文野寛

参考文献

(1)   加来祥男「ドイツ化学工業史序説」(1986、ミネルヴァ書房)

(2)   山本明夫「近代化学工業の盛衰」(2005、化学経済4月号~7月号)

(3)   山岡望「化学史談 Ⅰ~Ⅷ」(1951~56、内田老鶴圃新社)その他多数