長崎出島にいたオランダ人

 

徳川政府による鎖国時代、外国との通商と情報交換や技術の習得は唯一長崎出島にいたオランダ人を通して行われた。その出島にいたオランダ人とはどういう人たちであったのだろうか。

 

日本に始めてやってきた西洋人はポルトガル人で、1543年に種子島に上陸し、さらに、6年後の1549年に鹿児島にやってきた。彼らの目的はカトリックの伝道と通商であった。そのご平戸と大村領横瀬浦などが入港地として使われた後、1570年に長崎地方の戦国大名であった大村純忠によって長崎に港が開かれた。入港が出来るということは、港としての整備のほか、商人が集まってきて商取引が出来るための倉庫や町の整備も必要であった。

 

その背景には、大村純忠がキリスト教に改宗して、ポルトガル人の強い信頼を得たこと、さらにポルトガルが武力的に大村純忠を助け、大村純忠に反旗を翻す近傍の敵を追撃したいきさつがある。この時代の主な商品は、日本側が買うのは鉄砲、売るのは有田焼きなどの瀬戸物であった。大村純忠は船舶の入港料取得による大きな収入を懐に納めたといわれる。

 

この時代に(1549年)日本にやってきたスペイン人は、宣教師フランシスコザビエルであった。しかし、ザビエルはスペイン人ではあったが、肩書きはローマの法王から任命を受けた宣教師であり、またポルトガル王からもポルトガル国の使節という肩書きをもらっていた。

 

1587年豊臣秀吉はキリスト教宣教師を迫害し始め、長崎を直轄地としてしまった。

 

オランダ人が始めて日本にやってきたのは16004月で、九州沖で座礁したオランダ商船リーフデ号に乗っていた。この船は9ヶ月前にオランダのロッテルダム港を出発した5隻の船団の一隻で、大西洋を横断しチリ南端のマジェラン海峡を通り太平洋を横断して日本にやってきた。ところが他の船は途中ポルトガルに船につかまったり、沈没、あるいは航海をあきらめて途中でひきかえすなどして、一隻だけになってしまっていた。しかも、最初100人くらいいた船員の数は、途中疫病などにかかって死亡したため、20人くらいに減っていて、しかも自力で立てる船員は9名しか居なかった。

 

大分に上陸した彼らを、ポルトガル宣教師たちは海賊だと決めつけ、処刑を勧告したが、大阪城に監禁された後、William AdamsJan Joosten van Lodensteijnが当時の大名頭であった徳川家康に謁見することになり、徳川家康は始めてオランダと英国の事情を知り、信頼を寄せることになる。そして、両者は徳川家康の顧問として雇われることになり、また1609年にはオランダは平戸で交易を行うことを許される。

両者は帰国を許されなかったが、日本名を与えられ、旗本としての待遇を受けることとなった。前者が三浦按人、後者が耶楊子(やよす)である。やよすは八重洲に変わり今も東京駅の南側の地名として残っている。

 

1636年に、扇型の人工の島である出島が、長崎の有力商人の出資によって作られ、それまで長崎の勝手なところに住んでいたポルトガル人はすべてこの島におしこまれることになった。

 

1637年には島原の乱が起こり、徳川幕府はキリスト教を徹底的に根絶やしにした。このとき平戸で交易のため停泊していたオランダの船が一役買った。というのは島原沖から大砲を落ち込んだのである。また商敵であるポルトガル人の追放を徹底的に行った。長崎、島原の日本人キリスト教信者はカトリック、オランダ人はすべてプロテスタントであった。

 

ポルトガル人が居なくなった後オランダは、長崎の出島を使うようになり、1639年から1860年の明治維新まで、日本における唯一のヨーロッパ国として通商を許され、傍ら科学技術及び医学の窓口となった。江戸時代の末期、日本人に医学を教え、その一方日本の植物と文化を世界に知らしめたシーボルトは、ドイツ人ではあったがオランダ人医師に成りすましで出島を基地に活躍した。シーボルトはこのような背景のもとで日本に滞在できたのであった。

 

1600年から1856年まで、オランダの本国のほうは、政権が変わり、戦争があり、おおきな変動があった。にもかかわらず出島を通しての日本の関係は安定していたのはなぜか。その鍵については次の記事で触れる。

 

こぼれ話:

下記の「戦国の世の経営者・大村純忠」は15分ずつのYouTubeビデオであるが非常に興味深い講義である。この中に、戦国時代の鉄砲の輸入についての話がでてくる。それによれば、戦国の大名たちは鉄砲を買いたがった。しかし火薬はなかなか手に入らなかった。火薬は炭、硫黄を粉にして混ぜ、そこへ硝石を加えなければならない。ところが、動物の糞、その中でも優れているのが蚕の糞で、乾燥させて焼き灰にすると硝石として使える。白川郷は合掌つくりの家で有名だが、そこのある大きな家では、蚕の糞から火薬を作ることで富を作っていたという。

           

 

 

参考文献(一部)

 

William Adams (sailor)

 

Jan Joosten van Lodensteijn

http://en.wikipedia.org/wiki/Jan_Joosten_van_Lodensteijn

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%87%8D%E6%B4%B2

 

http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Netherlands

http://en.wikipedia.org/wiki/Shimabara_Rebellion

http://www1.city.nagasaki.nagasaki.jp/dejima/history/contents/index001.html

 

特別講演「戦国の世の経営者・大村純忠」(1)

特別講演「戦国の世の経営者・大村純忠」(2)

特別講演「戦国の世の経営者・大村純忠」(3)

特別講演「戦国の世の経営者・大村純忠」(4)