アメリカの失業問題と製造業の衰退

 

アメリカの中産階級の平均資産はこの10年間な約半分に減ったという。その直接の理由は(1)平均収入が減少した、(2)不動産価格が減少した、(3)株価が下がった、である。一方連邦政府の負債は16トリリオンドルを突破した。その責任者は前政権であったブッシュ大統領が槍玉に挙げられることが多い。確かにブッシュ大統領は悪政をした。しかし、ほとんど指摘されないけれども、根源にある問題は、教育問題と製造業の廃退にあるといえる。

 

製造業の廃退は1960年代に鉄鋼業の衰退の形ですでに始まっていた。オハイオ州からペンシルバニア州にまたがって無数にあった鉄鋼工場はみな閉鎖になった。日本、台湾に続いて韓国の進出で、採算が合わなくなって閉鎖に落ち込んだのであった。他の産業でも1970-1980年時代に労働組合の長引くストライキが繰り返された。当時は労働組合の勢力が強く、あらゆる企業で賃金上昇と労働条件の改善要求が行われ、ストライキによる工場の生産休止が続いた。

 

1970-1975までの5年間私はピッツバーグにあるウェスッチングハフスのコンサルタントとして一週間に一度はピッツバーグに行っていたのでよく知っているのだが、当時のアメリカの労働条件は日本と比べると夢のような環境であった。日本では夜遅くまで残業が当たり前で、休暇を取るのも恐る恐る願い出なければならないのが当たり前のようであったのに、アメリカでは、ほとんど全社員が5時には退社する。休暇を取るときは1週でも10日でも悠々と遊んでくる。給料も高かった。

 

1990年代までには、製造業は相当空洞化してきた。経営者たちは、面倒な労働組合を扱いながら経営を続けるより、メキシコ、日本、韓国、後には中国に製造を託し、国内では製造しないほうがはるかに経営が安定し、利益が上がることを発見したのである。当時の歴代大統領は自由貿易を提唱し、メキシコ、カナダをはじめ多くの国と自由貿易協定を結び、関税障壁をないに等しくした。それでも、シリコンバレーのおけるコンピューターの新技術がアメリカの経済を繁栄させた。2000年以後は中国の製造業者の力が増し、何から何までを製造してアメリカに送り込むようになってしまい、アメリカには製造業はないかのようになってしまった。

 

また経営者が企業の利益をあげる早道は、製造部門を閉鎖し、中国韓国から輸入あるいは外注することであった。このことは、二つの結果をもたらした。ひとつは、儲かる会社は製造費が格段に安くなるためにものすごく儲かる。このことは金持ちの資産をますます増やす結果となった。一方、二つ目は失業率が大幅に増え、不動産の値段が下がった。

 

このように、アメリカの骨格が弱ってきているのに、そのことを無視し、強いアメリカを主張し、イラク戦争とアフガニスタン戦争を同時に行い、連邦政府の莫大な借金を作った。

 

今年の大統領選挙戦で、オバマ大統領が政府高官としては初めて製造業復活の必要性を訴え、自分が選ばれたらこの問題にどのように取り組むかを具体的にのべた。共和党候補のラムニーは1200万人の職を生みだせるといったが具体策は何も述べておらず、ミデアはそれは不可能であると言い切っている。

 

製造業を復活させるのは、5年前10年前は不可能だったが、今なら可能性が増えているのではないかと思われる。第一に、日本、韓国、中国がそうであったように政府がその必要性を重視し、そのための政策を行ってゆく必要がある。オバマ大統領は、アメリカの政府としては初めてその必要性を認識し、政策について述べたのである。

 

以前製造業経営者を弱らせた強力な労働組合はなくなってしまった。労働者の平均賃金も以前よりはるかに安く出来る。さらには、天然ガス生産量が急激に増え、アジアの諸国よりエネルギの値段が安く有利である。アメリカの中で物資の生産することが重視されるようになり、ナショナリズムの感すら出てきた。

 

「危機は機会である」というのは中国人の表現であるが、日本の繁栄もドイツの反映も戦争による破壊の中から立ち上がることから始まった。アメリカには戦争による破壊はなかったが、恐慌に近い不況の形で今深刻な危機におちいっている。立ち上がるには、不況の根底にある製造業の復活と教育問題の解決以外にないと思う。

 

中村省一郎  9-10-2012