2012

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第1話 前書き 

 

 昨年(2011.2.19)電気化学会の「楽市フォーラム」に「ドイツ化学史の旅」

を出講したのがキッカケになって、鉄冶金がご専門のOM先生と懇意になった。

OM先生のご指摘「西村さんの講演を聴いて、“開化期の日本化学史に於けるドイツ”

は“同時代の日本鐵鋼史に於けるフランス”によく相似していることに気付いた」は少々

意外であった。そしてOM先生から頂戴したご自身執筆の「日仏工業技術会誌」の論文を

読み、引用文献を調べてみて自分の認識不足を知ることになった。

 

幕末から明治初期の日本が、落日のオランダとオランダ語から、その頃昇竜の勢いのド

イツとドイツ語へと英断をもって乗り換えた・・・との(私の)思い込みは、理化学と医

学に関しては正にその通りであったが、洋学全般について云うならまるで違ってくる。

大雑把に分類すると下記のようになる。

(杉本勲編著「体系日本史叢書19:科学史」山川出版1967):

・フランス・・・陸軍、鉱山、製鉄、造船

・ドイツ・・・・理化学、医学

・アメリカ・・・農学

・イギリス・・・その他全般(海軍を含む)

 

お雇い外国人の統計(明治4〜8年の外人雇傭数:上記文献のp.368 表)で見ると、

英:243、仏:87、米:68、独:47、蘭:11、以下に露、清、伊が続く。

全分野のお雇い外国人の国別人数は英国人が桁違いに多い。あとフランス、アメリカ、

ドイツ、オランダの順である。フランスが多いのは、幕末の混乱期に幕府は長州などの

雄藩に対抗するため、フランスに接近したからである。理化学と医学については、蘭学

の時代からドイツがオランダの親筋であった。宇田川榕菴の「舎密開宗」は英語の原書

→→ドイツ語訳→→オランダ語に重訳されたものを更に和訳したものであった。オラン

ダ東インド会社から派遣されたシーボルトは実はドイツ人であった。明治政府は徐々に

ドイツ語重視に傾斜して行き、東京帝国大学やその後の京大でもドイツ語を必修化して

行く。

 

鎖国時代にはオランダ一国とのみ交易したが、幕末から明治初期の近代化では何れか

一国に依存するのではなく、項目別に複数の先進国に分割師事したことは、後世の日本

国民にとって真に幸いなことであった。

 

今回、連載する雑記帳の主題は「蘭学から洋学(英、仏、独)へ」であるが、それに

関連して「蘭学以前」と「蘭学事始め」にも後刻触れる予定である。

 

(つづく)