201214

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第2話 英学事始め(その1、福沢諭吉) 

 

幕末から明治初期にかけて、それまでの蘭学一本槍から洋学(英、仏、独)への移行

期にあたる。

 

鎖国時代には日本中の気鋭の若者達の多くが蘭学一筋に精進していた。17世紀前半

には、海洋国家として世界をリードしていたオランダであるが、19世紀になると欧米

諸国の中でメジャーなプレーヤーではなくなっていた。日本の先覚者たちは蘭学とオラ

ンダ語の限界に気付いて、蘭学から洋学(英、仏、独)への乗り換えに踏み切った。

 

 気付いたのは誰か・・・と云うなら、蘭学を学んでいる者ほぼ全員が次第に気付いて

いった。蘭学以外を禁制していた幕府でさえも、19世紀初頭のフェートン号事件から

オランダ語の限界を知って、役人である蘭通詞数名に洋学(英、仏、ロシア露)の学習

を命令した(これは項を改めて書く予定)。

 

熱心に蘭学を学んでいた若き日の福沢諭吉が、横浜の新開地を訪れた時(1859年)

にオランダ語が全く役に立たなかった体験を「福翁自伝」(岩波文庫 1978年版 p.99)に書

いている。居留地の外国人に蘭語が全く通じず、「店の看板も読めなければ、ビンの貼

紙もわからぬ・・・」と嘆き、「これからは英語か仏語の時代である」と悟った。直ぐ

に、英語の学習の伝手を探し求める。英語の辞書が無いので、蕃書調所へ出向く。そこ

では英蘭辞書を閲覧させてくれたが、貸出〜持ち出しは不可であった。八方に手配して、

やっと英蘭辞書・2分冊(ネット検索で「ホルトロップ(J. Holtrop)英蘭・蘭英辞書」)を

高額(5両)で入手し、ほぼ独学で英語を習得する。

 

「苦労して蘭語を習得したことが無駄になって、また英語習得で同じ苦労を重ねるの

か・・・とガッカリした。しかし、実際に英語を蘭語へ翻訳し、さらに日本語へ重訳す

ることを繰り返すうちに、英語と蘭語が構文や文法が似ていることに気が付いた。蘭語

の習得は無駄ではなかった」と述懐している(上掲書p.104)。

 

(つづく)