201214

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第3話 英学事始め(その2、工部大学校その他)

 

 前回は若き日の福沢諭吉が、蘭学から英学に乗り換えるに際し、英語の辞書が無くて

苦労する話を紹介した。結局、彼は高価な「英蘭・蘭英辞書」を入手して独学で英語を

学習する。

 

それより約10年後のことであるが、幕末から明治初期に招聘され来日したお雇い外

国人たちは、フランス人でもドイツ人でも、教壇で行う授業も日常生活も大概は英語で

用を足していた。蘭学から洋学(英、仏、独)に移行する時期に、英学が他に先行して

いたのであった。習う側の日本人は英和辞書をどうしていたか?

 

(1)昨年の化学史研究発表会(2011.7.2〜3@弘前大学)

和田正法氏(東工大)の一般講演。

演題「工部大学校に於ける化学科の位置付け:実地教育の分析から」の中で、

「工部大学校では、教頭は英国人ヘンリー・ダイアー(Henry Dyer)が務めていた

(校長は工部省の役人)。大抵の授業は英語で行われた」との説明があった。

講演後、この和田氏にフロアーの席(偶々前後に隣り合っていた)で個別に質問。

西村「授業が英語で行われたならば、学生は英和辞書を持っていたでしょうか?」

和田氏「調べてはいないけれど、英和辞書は既に出回っていた筈です」

工部大学校は東京大学工学部の前身である。近頃、頻りに話題にのぼる高峰譲吉は

その第1期生。

 

(2)アイソマーズ通信2007年号

アイソマーズ・ドイツ化学史の旅パート2の参考資料

http://isomers.ismr.us/isomers2007/Ritter1.htm

の中で紹介したお雇いドイツ人、リッテル(H. Ritter)は1870年来日して、英語

の教科書を用いて、英語で「理化学」の講義を行っている。

 

(3)アイソマーズ通信2011年号掲載の書評

京都療病院 お雇い医師 ショイベ 滞日書簡から       

http://isomers.ismr.us/isomers2011/scheube.htm

ショイベは療病院で行う診察も医学の授業も英語であった。府知事や府役人たちとの折衝も英語

に依っていた。母親への手紙の中で、相手の英会話力を批評している。

使用人(料理人、人力車夫、召使い)との対話も英語。

ドイツ語を話す機会は、仲良し3人組で週末に懇親する場合に限られた。

 

 「蘭学事始め」はオランダ語の辞書の無い時代に、手探りで「解体新書」を翻訳する

杉田玄白、前野良沢らの苦労話が中学校の国語教科書に載っていた。「英学事始め」は

学校で習うことはなかったけれど、実際はどうであったか。また、本邦初の英和辞書は

如何に生まれたか。追々本シリーズの話題に取り上げる予定である。

 

(つづく)