201220

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第5話 露学事始め

 

  唐突であるが、「英学事始め」の途中に異質な「露学事始め」を挿入しよう。その

キッカケが、ごく最近続けて2件あった。

 

(1)日経新聞の日曜日朝刊に連載コラム「欧人異聞」(樺山紘一)がある。

去る1月15日の主題は「エカチェリーナ2世の異国人歓待」であった。

「エカチェリーナ2世」とは従来は「エカテリーナ」と表記されてきたロシアの

女帝で、ドイツ生まれ、エルミタージュ美術館を創始したことでも有名である。

「異国人」とは大黒屋光太夫と磯吉。日本近海を航行中に難破〜漂流し、ロシア

領アリューシャン列島に漂着し(1782年)、ロシア各地を見聞し、1790

年にペテルブルグで女帝に謁見した。

1791年に帰国してから、江戸幕府の将軍に引見された。光太夫はロシア見聞

録を自らは書き残していないが口述して、幕府お抱えの医師で蘭学者である桂川

国瑞が書物「北槎聞略」に編纂した。光太夫は相当のインテリであったらしく、

その書の中にはロシア語のアルファベット、対訳ロシア語会話、単語集が含まれ

ている。幕府の命令で、役人の通詞・馬場某にロシア語の手ほどきをしたと記録

されている、

 

(2)NHK—Eテレでシリーズ放映中の「さかのぼり日本史」、

2011年10月放映の『江戸“天下太平”の礎、「鎖国」が守った繁栄』

が過日(2012.1.16)早朝に再々放映された。

 語り手、磯田道史氏(茨城大准教授)が露寇事件(1806)をテーマに採択。

 その内容を要約すると以下のようになる。

19世紀初頭(1806〜)、ロシアが樺太や蝦夷地方を次々と襲撃してきた。

幕府の命令で松前藩と東北諸藩の兵三千が出陣して、これを迎え撃ったが苦戦し

た。これを「元寇」になぞらえて「露寇」と名付けている。日露戦争より100

年も前の出来事である。数次にわたる交戦で戦闘員の死傷被害が大きく、戦闘継

続が困難となり幕府が困惑するのと時を同じくして、ロシア側も国内政治情勢の

変化から襲撃を中止した。殆ど同じ時期に、九州長崎では英国による「フェート

ン号事件」が勃発。幕府は外圧に緊張し、対外政策に再検討に追い込まれた。

人である蘭通詞数名に洋学(英語、仏語、ロシア語)の学習を命じた(英、仏、

独でなく英、仏、露であることに注意)。この件は第2話で少し触れている)。 

   

これらとは全く別の史実もあった。1811年千島列島を測量していたロシア船の艦

長V.M.ゴロヴニンを捕虜として3年間抑留した。取り調べ方の役人、足立某と上記

の(1)項の蘭通詞、馬場某が取り調べと同時に、ロシア事情の聞き取り、ロシア語の

勉強に時間を割いた。ゴロヴニンが帰国後に著した「日本幽囚記」(1819年刊)に

この時の経験を細かく記録している。各国語に翻訳され、日本語版は岩波文庫にある。

 

 「日本最初の露和辞書」でキーワード検索しても、英和辞書の場合の様にドンピシャ

と該当書は見つからない。代わりに香川大学付属図書館の「神原文庫」に山田勇(経済

学部教授)著「日本におけるロシア研究の黎明期」を見いだした。   

http://www.lib.kagawa-u.ac.jp/www1/kambara/russia/russia.html#top

ロシアと日本の偶発的な接触の歴史、数々の露和辞書、露和単語集、露和会話書などが詳細

に述べられている。

 

(つづく)