201212

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第8話 英学事始め(その6、開化期初期の英学)

 

 前回述べた通り、ペリーの黒船来航(1853年)の際の日米交渉公用語は英語では

なかった。日本側通詞たちの英語力が貧弱だったからである。その翌年の日米和親条約

で日本は開国し、数年後の日米修好条約に至る。文明開化の始まる明治維新は15年後

の1868年であった。開国に伴って、オランダ人以外の欧米人(英、米、仏、独など)

の往来が急増した。第1話に述べた如く、幕末から明治初期には数多くの“お雇い外国

人”を招聘したが、彼等は仕事でも日常生活でも主として英語を使っていた。後述する

日本人の外国留学でも英語力は必須であった。この時期には英語の重要性、英語学習の

必要性が急速に高まったのである。

 

1853 ペリー黒船(第7話)

1859 福沢諭吉の覚醒(第2話)

1860〜1 ロバートフォーチュンの日本探訪(2011年号掲載の拙文

書評:幕末日本探訪記江戸と北京(講談社学術文庫) 

http://isomers.ismr.us/isomers2011/yedo-peking.htm )

    1862 本邦初の英和辞書(第4話)

1863 長州五傑(武山さんが2011年号掲載された

リービッヒ一門の成果と江戸時代末の日本への影響(2) 

http://isomers.ismr.us/isomers2011/chemistry_of_edo-2.htm )

    1865 森有禮 英国留学〜米国留学(次回以降)

    1871 第1回国費留学生 岩倉欧米使節団(次回以降)

 

国民的人気作家、司馬遼太郎は「街道を行く〜本郷界隈」の中で“お雇い外国人”を

評して(うろ覚えであるが)以下のように述べている。「開化期に、日本が超スピード

の近代化に成功した理由の一つは、“お雇い外国人”のレベルが高かったことである。

破格の高給を支払って、優秀な人材を招いた。これが価値ある“先行投資”となったの

であった」と。更に賢明なことに、彼等の雇用契約を数年間の短期としたのであった。

そして“お雇い外国人”を代替するため、日本人の留学を奨励した。“お雇い外国人”

に支払う高給一人分で日本人留学生数名分を賄えたのであった。

 

初期の留学生は明治維新の功労者の子弟や縁者から選ばれることが多かった。縁者で

はない若者が国費留学するには並外れた能力が求められた。優れた英語力も有利な条件

となった。斯くして、幕末から明治初期のこの時期には英語学習の気運が急速に高まり、

幕府も明治政府も、また幕末の先進的な各雄藩も英語塾を始めた。民間の私塾も盛んと

なった。熱心に蘭学を学んでいた若き俊英たちの多くは英学に乗り換えたであろう。

 

(つづく)