2012

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第10話 英学事始め(その8、開化期の英語学習風景)

 

 英学のことを少し調べようと、キーワード「英学事始め」でネット検索する〜アイソ

マーズ通信に連載中の拙文「歴史の雑記帳」がヒットする〜それではダメだと「明治の

英学」で検索をやりなおす〜10万件超の情報がヒットする中には真面目そうな文献が

多数ある。その中の一つ「日本の英学100年(明治編)」(1968年、研究社)を

東工大図書館で閲覧した。そのp344には福沢諭吉の英語塾の学習風景が次のように

描かれている。

 

   福沢が創設した慶応義塾は、文久2年(1862)から英書の教授を始めたが、

どのような教授の仕方をしたのであろうか。「慶応義塾五十年史」は次のよう

に説明している。「洋書といってもウェブスター辞典1冊と、カッケンボスと

チャンバーの物理書各一冊に過ぎなかったので、各生徒は時を限って一回の輪

講分位づつ之を書写し、字引書を引いて当時「六斉の回読」と称えた月6回の

回読の用意をした。回読の当日はかねて写し取った書物をば幾つかに分け、之

を抽籤で順番に各生徒に読ませ、当番生徒読み終わる時は、会頭を始め列座の

銘々から質問の矢を放ち、若し首尾よく答弁し得るときは、其の成績表に白点

を附し、然らざるときは之に黒点を附して、次席に回はし(中略)斯くして最

後に至ってなほ解決せざる時に始めて、会頭(先生)これを説明するといふ仕

組であった。(中略)当時先生の生徒に対する質問は態と間違やすきように、

間違やすきように、と問われたものである。」

(中略)

福沢がいかに徹底的な授業を、しかも生徒の訓練中心の授業をとったかが想像

される。

 

第2話に述べたが、福沢は「ホルトロップ (J. Holtrop) 英蘭・蘭英辞書」を高額(5両)

で入手し、ほぼ独学で英語を習得した。独学の福沢は上記の英語塾を始める前に、実は渡

米していたのである。上掲書の続き・・・

 

万延元年(1860)幕府の軍艦咸臨丸がアメリカに向かう時、福沢の火のように

燃えていた情熱が彼のアメリカ行きを実現させたことはよく知られているが、

本稿でとくにとり上げたいのは、その一行の中に、中浜万次郎が加わっていた

ということである。福沢の英学修行の途に中浜の存在はまさに錦上花を添えた

のであった。二人が各一冊づつ購入した Websters Dictionary は、我が国の

英語発音教育上、いかに便宜を与えたことであろうか。また、帰朝後、福沢の

翻訳出版した『華英通語』も、英語のV音の表記に「ヴ」などを考案したこと

などで見逃すことはできない業績である。(後略)

 

中浜万次郎(ジョン万次郎)は既に第7話にも登場している。福沢が渡米旅行の途上

で通訳である万次郎と密着接触したのは幸運であった。この機会に、福沢の独学した英

語は大いに補正され、磨かれたであろうと想像される。我が国の英学の発展に果たした

貴重な歴史の一端でもある。

 

(つづく)