20124.5

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第11話 英学事始め(その9、正則英語と変則英語)

 

前回、引用した「日本の英学100年(明治編)」をもう少し先へ読み進むと興味深い

話題が続く。「正則英語」という言葉が出て来る。そう言えば、そんな名称の語学学校が

何処かにあったような気がする。P.348 から先を見よう。

 

正則教授法とは、言葉の学習の本道、すなわち、発音、アクセント、イント

ネーション等を正確にし、いちいち日本語におきかえなくても十分理解される

ように教授する方法で、Direct Method Reformed Method とその趣旨を同

じくするものであり、現今のOral Method  Oral Approach などに一脈相通ず

るものであることが分かる。

一方、変則教授法は、文意をとることを主眼とし、漢文素読式な読み方で音

声面には注意しないいわば亜流である、しかし、一概に変則教授法を責めるわ

けにもいかない。もし、正則教授法が、単調なオーム返しの訓練に堕して文の

内容や思想を軽んずるならば本末転倒というものであろう。大きな目的意識を

もった人がたとえ変則であれ、英文を読んで思想摂取に成功した場合、果たし

て「正則」「変則」いずれに軍配を上げるべきか、われわれは躊躇してしまう

であろう。

 しかし、変則教授法の現象的な面にあらわれた欠点は、不幸にも次に示すよ

うに、今日、誰の眼にも明らかである。

 

    I   do   not   see   any   bird.(我は或鳥を見為さぬ。)

      ()() ()  ()  ()   ()

 

I   prefer   tea   to   coffee. (我は珈琲にまで茶を選ぶ。) 

()  ()     () ()   ()  

 

また、前述の慶応式変則発音では、sometimes を(ソメチメス)としるした

ことなど今では笑い草となっているが、当時、微妙な英語音を知らない人々に

とってはやむを得ない措置であったと思われる。

 

変則教授法を「漢文素読式な読み方」と説明されるとハッと思い当たる。昔も今でも

我々一般人が漢文を読む際、原語の発音を気にすることなく、訓読〜読み下している。

返り点(レ点)、一・二点(一、二、三、・・・)を補助的に付ける。それを援用する

と考えれば納得できる。それにしてもsometimes(ソメチネス)はカタカナ英語が大得意

の小生もビックリである。もう少々先へ進もう。

 

 教授法という狭い枠の中で考えれば、正則法が良いにきまっているが、すぐ

外人教師の得られなかったこと、教授法そのものを追求するまでに学問が分化

していなかったことなどの諸般の事情もさることながら、明治初期の大半の英

学生達にとって、英語は西洋文化受容の一手段に過ぎなかったのである。

 

                                  (つづく)