2012

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第12話 仏学事始め(その1、英学に先行していた仏学)

 

「英学事始め」の途中であるが、今回から数回に亘って「仏学事始め」を挿入する。

意外にも、日本の「仏学事始め」は英学より早かったのである。第6話に述べたが、日

本の英学は、フェートン号事件(1808) の後、幕府が長崎の蘭学通詞に「アンゲリア文字

言語修学命令」を出したことで翌1809年に始まった。長崎奉行が幕府にフランス語学習

の必要性を建白したのは1807年、幕府がそれを受けて、蘭学通詞6名に「フランス語修

学命令」を出したのは1908年であった。

 

長崎奉行が、この時期に幕府へフランス学の必要性を建白した時代背景は何か。蘭学

全盛の時代に日本の知識人たちがオランダから取り寄せる学術書の多くは英語、フラン

ス語、ドイツ語からオランダ語に翻訳されたものであった。宇田川榕菴の「舎密開宗」

の原書は英語からドイツ語を経てオランダ語に重訳されたものであった。杉田玄白等の

「解体新書」の原書はドイツ語からオランダ語に翻訳されたものであった。次回述べる

本邦初の仏和辞典を編纂した信州松代の医者、村上英俊がオランダから取り寄せた化学

書はフランス語であった。

 

その頃のヨーロッパ全般はどの様な状況であったかを見ると、蘭学の宗主国オランダ

も(統一前の)ドイツも含めてヨーロッパ全土がナポレオン一世に制圧されていた。占

領されなかった大国は英国だけであった。ナポレオン一世のフランスと産業革命に成功

した英国がヨーロッパのメジャープレーヤーとなっていた。但し、ナポレオンの絶頂期

は終盤であったが。

 

(つづく)