201212

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第14話 仏学事始め(その3、本邦初の仏和辞書)

 

 本邦初の本格的な仏和辞書は村上英俊の「仏語明要」T〜W(1964)とされている。

これが、本邦初の本格的ヨーロッパ風辞書で、左開き、左から右へ横書き、アルファベ

ット順であった。それ以前のものは、毛筆、右開き、縦書きであった。

 

ベルセリウス著のフランス語版化学書の和訳(185?)から始まった村上英俊のフラン

ス語研究は次第に本格化した。「仏語明要」を刊行する約10年前に日本初のフランス

語、英語、オランダ語の三カ国語対照辞書「三語便覧」(1854)を刊行している。また、

その数年後には「仏語明要」の原型となる村上の最初の仏和辞書「仏蘭西詞林」を編纂

して、松代藩主へ献上した(1857)。藩主・真田公はこれを松代藩だけの所有にせず更に

幕府へ献上したが、一般には刊行されることなく「幻の仏和辞書」となった。この幕府

への献上が後年、村上が蕃書調所教授手伝いに就く(1859)こと、日仏修好通商条約批准

(1858)の際の活躍などにつながっていった。

 

その他にも、文法書「洋学捷径・仏英訓弁」(1855)、「三語便覧」の続編「仏・英・

独の三語便覧」、「仏・英・独 三国会話」(1872)等を次々と刊行した。これら書籍の

版元は「達理堂」と表記されることが多い。「達理堂」とは、村上が明治元年(1868)に、

東京・深川に開いた仏学の私塾の名前である。斯くして、後進の指導、育成に努めたこ

とで、村上は東京学士院会員に選ばれた。フランス政府からレジョン・ドヌール勲章を

授けられた。これらの業績から、村上英俊は日本における仏学の開祖と言われている。

 

(つづく)