201212

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第18話 ドイツ学事始め(その2、本邦初の独和辞典)

 

アイソマーズ通信 2011年号の下記拙稿(書評)の(脚注2)参照。

京都療病院 お雇い医師 ショイベ 滞日書簡から  

お雇い外国人として京都府に招かれたドイツ人技師、ルドルフ・レーマン(Rudolf Lehmann)

1872年に日本最初の独和辞書を刊行したことを紹介している。京都府立医大図書館蔵の原本

の表紙図をP.277 に掲載。図には「語學師 劉度兒夫閲 和譯獨逸辭書と縦書きされて

いる。「劉度兒夫」は「ルドルフ」と読むのだろう。「閲」は「監修」を意味すると推定する

と、他に日本人の編著者が居たと想像される。レーマンは後年(1877 81) ショイベ/ワグネ

ル/レーマンの京都在住ドイツ人仲良し3人組となる内の一人である。

 

英学や仏学については、キーワード「本邦初の英和辞書」、「本邦初の仏和辞書」でネット

検索すれば的確な情報が得られる。その概要を第4話と第14話で既に紹介した。一方、同様

に「本邦初の独和辞典」でネット検索しても、何故かそれほど判然とした情報は得られない。

 

そこで、キーワードを「日本最初の独和辞典」と変えて検索すると、やや意外な項目「佐渡

トキ検定」の過去問題(日本で初めて本格的な独和辞典「和訳独逸辞書」を出版した佐渡島生

まれの人は誰か?)という四択問題が出てくる。そこからイモヅル式に「司馬凌海」にたどり

着いた。ウィキペディアによると、司馬凌海は佐渡生まれの蘭方医、東大の前身校で教授もつ

とめた。語学の天才と称され、独・英・蘭・仏・露・中を解したとされる。明治初頭にはドイ

ツ語の単語集や辞書が種々出たが、最も影響が大きかったのは、司馬凌海が編纂し、レーマン

(Rudolf Lehmann) 監修で、1872 に出版した「和訳独逸辞典」であった。

 

 独和辞典に関する上記2件の故事来歴はおそらく同じ史実を語っている。但し、1872 年に

はレーマンは京都、司馬凌海は東京在住である。明治初頭に、京都と東京で遠隔コラボ出版が

出来たのだろうかと少々気になる。

 

第4話の出典(1)に紹介した「葵文庫」は旧洋書調所の蔵書を受け継いでいる。そこには

ドイツ語書籍下記2点が収蔵されている。

「官版独逸単語扁」洋書調所編集   文久2年(1862) 

  「最初のドイツ語講義 ( Die Ersten Lectionen des Deutschen Sprachunterrichts

                         大学南校編集 (1870)

 

(つづく)