201212.4

西 村 三千男 記

 

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第20話 英学事始め(その11、日本の鉄道の父〜井上勝)

 

 前回(第19話)の主題「山本有造著、ガワー3兄弟」は長州五傑が渡英した経緯を冒頭

に記述している(文献1)。長州五傑のうち、伊藤博文、山尾庸三、井上勝が日本鉄道史の初

期に大きな貢献をした。殊に井上勝は「日本の鉄道の父」と称される(文献3)。長州五傑の

ことは武山高之さんも2011年に当HPに既に紹介している(文献2)

 

 日本初の鉄道は新橋〜横浜間を明治5(1872)に開業した。区間の全長16Kmと短距離では

あったが、明治2(1869)着工から僅か数年間で竣工している。世界を驚かせた奇跡的なス

ピード工事であった。それは鉄道最先進国であった英国の総合力の加勢があったからでる。

日本の鉄道史の草創期に英国が深く関わった理由の一つには第2代駐日英国公使パークス卿

の存在があった。前掲の引用書では「パークス公使はガワー3兄弟の三男・エーベルの領事

館における上司であり、エーベルが40歳の若さで早期退職する原因とされるくらい二人は不

仲であった・・・」と紹介されている(文献187ページ)。対照的にパークス自身は、30

代の若さながら外交手腕に長け、在日期間が18(18651883)と長く、明治初期の日本の近

代化に多面的に大きく貢献したとされている。

 

鉄道事始めの物語は井上勝が後年詳しく回顧している(文献3)。鉄道計画に至る経緯、当時

の陸路交通事情、鉄道敷設に反対する世相とその理由なども述べている。敷設の計画立案も

施工も全面的に英国技術に依存した。建設資金の調達も英国の指導を受けた。パークスの紹

介した英国側要人(ネルソンレー)が提案したのは、海運の関税を抵当にして英国で三百万

ポンドを起債する方法であった。当時、井上勝は伊藤博文の処に寄寓していた縁で、この交

渉の通訳をつとめたと述懐している。機関車も車両も全て英国製を輸入し、開業に際しては、

時刻表の作成も英国人の指導、機関士は外国人(英国人?)の経験者であった。明治初期の

「お雇い外国人」に英国人が突出して多い(本シリーズ第1話参照)が、鉄道支援の要員が

含まれている。

 

 「北山敏和の鉄道いまむかし」と題したWebsiteがある。北山敏和氏はJROB日本

の鉄道史を豊富な資料と共に公開し、今も追加を書き続け中である( 3)。そのホーム

ページの目次の第1項 (0)を開くと満鉄の地図が出てくるが、ヘッダーのリンクボタン

「井上勝」をクリックすると上述した井上勝の回顧録(文献3)

(井上勝著、日本帝国鉄道創業談 明治39年 の現代文に変更)

がある。当時の世相を知る読み物としても興味深い。

 

その前書き部分に大隈重信の書いた井上勝の人物評が引用されている。井上は周囲の誰彼

なく衝突するくらいに狷介孤高であったが、極めて有能であって、余人を以て替えることは

出来なかったという。上司であった山尾庸三も辟易していた。井上自身は回顧録の文中では

大隈重信、伊藤博文には敬意を払うが、山尾庸三は自分と同格に扱っている。

 

引用文献:

1.   山本有造著 “「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟“

2012 中部大学ブックシリーズActa19

2.       武山高之:当HP2011年号  リービッヒ一門の成果と江戸時代末の日本への影響(2)

(http://isomers.ismr.us/isomers2011/chemistry_of_edo-2.htm)

3.   「北山敏和の鉄道いまむかし」 (http://ktymtskz.my.coocan.jp/)

目次 0「井上勝の鉄道創業史」(井上勝著 日本帝国鉄道創業談 明治39年 の現代文)

 

(つづく)