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低圧蒸気機関と高圧蒸気機関

 

英国の産業革命の大黒柱ともなった蒸気機関は、18世紀末までは蒸気の圧力が大気圧よりもわずかに高いだけの低圧蒸気機関であった。ニューコメンの発明した低圧蒸気機関は1775年までには600台が英国に建設され、1800年までにはワットの改良型も含めて2000台に達した。ヨーロッパの他の国にも輸出されてはいたが少数で、このことからも英国の産業革命がいかに先を進んでいたかがわかる。

 

 

ニューコメンの蒸気機関。ピストンが上昇するとき赤の弁が開き、蒸気がシリンダーにはいる。ピストンが最高位置になったとき赤は閉まり青の弁が短時間開き冷水が霧状にシリンダーに入り蒸気を凝縮させる。これで生じた真空(減圧)がピストンを引っ張り動力を生む。(上図の動画はMotion picture link

 

この方式では、冷水がシリンダーにも当たって温度を下げてしまい、次に蒸気が入ってきたとき冷水噴霧される以前に凝縮をはじめるため熱効率を低くしてしまう。ジェームズワットが改良したのはこの点で、グラスゴー大学でニューコメンのエンジンを詳細に調べた結果、冷水噴霧がシリンダーの壁の温度を低くして滅効率を下げていることを突き止めた。彼はピストンの上下するシリンダーに一個のタンクをつなぎ、冷水噴霧装置はこのタンクのほうへ移した。ピストンが降下を始めるとタンクのほうで冷水噴霧によって真空をつくった。これで熱効率は格段に改良され、その特許は1780年に許可がおりた。その後もワットは改良を続け、ダブルアクシオン機関、つまりピストンの両側から駆動する設計も特許をとった。

 

彼の性能の良くなった蒸気機関はコーンウェル地方の鉱山で採用されたが、ニューコメンの蒸気機関が多く採用されている繊維工業ではあまり人気が出なかった。その理由は、繊維工場の多いバーミングハムやマンチェスター地方では石炭が安く、コストの高いワットの装置を用いなくとも満足できたためである。しかしコーンウェルでは石炭は取れず、交通機関の悪かった当時は石炭の値段が高かった。そのためにワットの蒸気機関が採用された。しかし、ワットの特許が無効になるまでの20年間、ワットの蒸気機関はあまり採用されなかった。その背景にはピカードによるクランクシャフトの特許があったので、それが無効になる1800年までは、ワットの蒸気機関には回転運動を生み出すためのクランクシャフトが使えず結局無駄足を踏んだ。ワットの蒸気機関が盛んに売れ始めたのはクランクシャフトの特許が切れた1800年をすぎてからで、その後彼は大金持ちになった。

高圧蒸気機関を開発する試みは18世紀後半にもいくつかあったが、ワットの特許にひっかかって実用化できなかった。さらにワットは議会に働きかけ、高圧ボイラーは危険だから蒸気機関に用いてならないと決議させることに成功した。

 

1800年を過ぎてワットの特許が切れると高圧蒸気機関の開発が自由に行えるようになったが、実際の製作には大きな壁があった。それは低圧蒸気機関よりも遥かに精密な加工技術が必要であったが、工作技術がととのっていなかった。このため初期の高圧蒸気機関は磨耗が激しく信頼性がひくかった。これが理由で低圧蒸気機関は19世紀前半も製作が続いた。

 

しかし、高圧蒸気機関は遥かに小型で、船や列車の機関車に用いるためには必須である。1830年代に鉄道が盛んに開発されるようになって高圧蒸気機関の時代になった。

 

高圧蒸気機関http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_steam_engine