竹島問題

 

武山高之(2012年9月1日記)

 

Ⅰ.竹島問題の日韓の論点と非当事者国の意見(要約)

 

まず、韓国の高校歴史教科書に記載されている竹島問題関係を抜粋した。

この記載は、韓国の若者にはしっかりと認識されているだろう。

後述する日本の教科書の記載とは大違いである。また、中国の尖閣諸島に関する記載よりも、はるかに攻撃的で反日的である。

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韓国の高校歴史教科書訳(明石書店)から(2006年頃読む。韓国初版1996年)

 

(1)274ページⅣ近代社会の胎動「対外関係の変化」から

一方、東海(日本海のこと)沖の鬱陵島と独島(竹島のこと)は三国時代以来わが国の領土であった。

しかし、日本の漁民がしばしばここを侵犯したので、粛宗(16741720)の代に、東莱の漁民安龍福が日本漁民を鬱陵島から追い出し、日本に行って、鬱陵島が朝鮮の領土であることを確認させたこともあった。

その後、政府では鬱陵島開拓のために住民の移住を奨励し、鬱陵島を郡に昇格させ、独島まで管轄させた。

 

(2)351ページⅦ近代社会の展開「間島と独島」から

これだけでなく、日帝は露日戦争中に、独島を自分の領土に編入する不法行為を犯したりした。

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(1)は「韓国は以前から、竹島を実効支配していた」という主張の根拠である。これに対して、「同じ文献でも解釈に間違いがあり、韓国側の主張は正しくない」と言うのが、日本の主張である。

(2)は「1905年(明治38年)の日本による竹島編入は不法行為である」との韓国側の主張である。それに対して、「1905年以前は、この島は、どこの国にも属しておらず、どこの国も占有支配していなかったのを確認しているので、日本の領有は国際法上も有効である」というのが、日本の主張である。

 

現在、日本の全ての与野党は「竹島が日本領である」という立場を支持している。

本日の予算委員会で共産党の委員からも、オスプレイ問題の質問に前立ち、このことの発言があった。

 

非当事者国の見解を簡単に述べる。(ウィキペディアから抜粋)

 

アメリカサンフランシスコ平和条約などで示されている通り、アメリカは一貫して竹島は日本領であるとの立場を示している。

同時に本問題は国際司法裁判所での裁定や話し合いによって解決されるべきとの見解を示している。

 

中国:2010年4月15日、中国新聞は「日本は済州島、巨文島、鬱陵島と含む朝鮮の一切を放棄した」とのサンフランシスコ条約における日本の放棄領を記した条文を紹介した上で、武正副外務大臣は「同条約は日本が放棄する領土を定めたが、竹島は含まれていない」と指摘を掲載。条約締結時に韓国が条約中の日本放棄領土に竹島を含めるように要求したが、米国の拒絶で断念した経緯も説明した。

 

最後に追加。

日教組の傘下の北海道教職員組合が2008年(平成20年)11月に、「韓国の主張が事実にのっとっている」ということを書いた資料を各校に配布したことがあった。

(ウィキペディアから)

 

(注:サンフランシスコ平和条約について。韓国は日本の対戦国ではないので、調印には加わっていない。中国は、中華民国と中華人民共和国のいずれが調印式に加わるかの問題があり、いずれも調印式に招待されていない)

 

Ⅱ.「サンフランシスコ平和条約

 

前回の最後の部分で触れたが、竹島問題については、「サンフランシスコ平和条約」でどう決められたかが、重要なポイントになっている。

今回は、これらについて話す。

 

その前に、日本の中高生は竹島問題をどのように習っているかを次に要約した。

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1.中学社会(地理)から

いずれの教科書も「領土をめぐる問題」という項で、竹島問題を取り上げている。

また、いずれの教科書も「竹島は日本の領土」とした上で、「韓国が占拠し対立が続いている」(東京図書)、「韓国政府が不法占拠を続けている」(教育出版)、「韓国は自分の領土だと主張している」(日本文教出版)、など少しずつ、ニュアンスが違う。

先日の外務大臣の発言は、(教育出版)と同じである。

 

2.高校日本史B

(山川出版)「詳説日本史B」では「サンフランシスコ平和条約」に規定した日本の領土を地図で示しているが、竹島も日本領であることを明記している。

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日本の中学教科書も高校教科書も、日本の領土を「サンフランシスコ平和条約」の規定に従って編集している。

 

以下、ウィキペディアを参考にして、サンフランシスコ平和条約調印前後の経過を纏めました。詳しく知りたい方は、ウィキペディアの原文を見て頂きたい。

 

サンフランシスコ平和条約署名、発効〕

「竹島を日本の領土と明記した」サンフランシスコ平和条約は、1949年(昭和24年9月9日)に草案が作られ、1951年(昭和26年9月9日)に49カ国が署名、1952年(昭和27年4月28日)に発効した。

 

〔この間の韓国情勢〕

この間の韓国情勢を纏めると、1948年(昭和23年)8月15日李承晩が大韓民国建国を宣言し、初代大統領になる。1950年(昭和25年年)6月25日に朝鮮戦争勃発し、1951年(昭和26年)7月10日休戦会談を開始した。サンフランシスコ条約が検討されていた時は、韓国の国内情勢は混乱期にあった。

 

サンフランシスコ平和条約発効までの日韓米3国の発言〕

○1947年(昭和22年)6月:日本外務省は小冊子を作成し竹島を日本固有領土と明記。

○ 同年8月20日:韓国山岳会が竹島を調査。

○ 1948年(昭和23年)8月5日:南朝鮮の「憂国老人会」がマッカーサーに対して、「独島、波浪島(どの島か当事者によって同定できていない)、鬱陵島、対馬」が韓国領との請願書を送付。

(対馬の領有権も求めているが、後に撤回している)

● 1949年(昭和24年)11月19日:シーボルト駐日政治顧問代理は、国務長官宛に、「竹島に対する日本の領土主張は、古く正当と思われる」と提言。

(1947年(昭和22年)3月19日版の条約草案では、「日本は済州島、巨文島、鬱陵島および竹島を放棄すること」との記載があったが、日本側の主張が正当であるとして、再考している)   

○ 1951年(昭和26年)7月19日:梁裕燦韓国大使がダレス国務長官顧問と面談し、対馬の領有権主張を取り下げ、竹島の領有権を主張する書簡を提出。

● 同年8月10日:ディーン・ラスク国務次官補から韓国大使に宛てた「ラスク書簡」で「独島(竹島)が朝鮮の領土であったことも、主張されたこともない」と回答。

● 同年9月9日:「サンフランシスコ平和条約」署名。  

 

〔サンフランシスコ平和条約発効後の米国の発言・意見〕

○ 1952年(昭和27年)12月4日:「ラスク書簡の再通知」

竹島を爆撃演習地とすることが日米で合意されたが、韓国から抗議が出た。1952年12月4日、釜山米大使館から「米国の竹島に対する認識は、(1951年8月10日の)ラスク書簡に通り〕と回答。

○ 1953年(昭和28年)11月30日:「ターナー覚書」

東京領事ウィリアム・ターナーの本省に出した覚書。アリソン大使の態度に反対して、米国は竹島問題にかかわらない方がいいとの意見。國際司法裁判所での解決を望むと。

○ 1954年(昭和29年)8月15日:「ヴァン・フリート特命報告書」

朝鮮戦争に出征したジェームス・ヴァン・フリートが大統領特命大使として、極東各国を歴訪した報告書。

竹島問題について、①李承晩ラインは違法②米国は「サンフランシスコ平和条約」で竹島は日本領であると結論している。③国際司法裁判所で解決されるのが望ましい。

と結論している。この結論は非公式に当時韓国側にも伝えてあると、記載されている。

 

〔韓国の「サンフランシスコ平和条約」に違反する事項〕

○ 竹島の不法占拠(1953年(昭和28年)~)

1953年から竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。

○ 李承晩ライン(1952年(昭和27年)~1965年(昭和40年))

竹島は韓国領内とする。

日本漁船拿捕328隻。日本人死傷者44人(うち5名死亡)、3929人抑留。韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃15件。

 

〔國際司法裁判所への付託〕

1954年(昭和29年)9月25日、1962年(昭和27年)3月12日いずれも韓国側拒否。

 

Ⅲ.「1905年に日本が竹島を領土に決定した経緯」

 

「サンフランシスコ平和条約」では、竹島は日本領と決定している。ところが、韓国は「サンフランシスコ平和条約」を無視し、竹島を不法占拠し続けている。

日本は、「竹島は日本領だ」といい、韓国は「韓国領だ」と主張している。

しからばと、日本から「國際司法裁判所」への付託を提案すると、それも拒否している。

 

これが現状ですが、一度振り返って、「1905年に日本が竹島を領土に決定した経緯」について、纏めてみる。

 

少し脱線するが、1905年前後の朝鮮半島情勢は非常に複雑な時期であった。

1895年、日清戦争終結の下関条約が締結され、朝鮮王朝は清の支配から独立し、大韓帝国が建国された。

しかし、日本の干渉が強くなり、1904年には日露戦争が始まり、この頃から、大韓帝国は日本の属国化が進み、1910年の日韓併合へと進んだ。

 

そのような時期での竹島領有化である。このことを頭に入れて、以下を読んで頂きたい。

 

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竹島でアシカ漁を営む個人からの領土編入貸下願を契機に、閣議決定し、島根県に編入した。

 

1905年1月28日付けの閣議決定文の要点は次の通りである。

「北緯37度9分30秒ニアル無人島ハ、他国ニオイテ、之ヲ占領シタルト認ムベキ形跡ナク明治6年以来中井養三郎ナル者ガ 該島ニ移住シ漁業ニ従事セルコトハ関係書類ニ依り明ナル所ナレバ国際法上占領ノ事実アルモノト認メ之ヲ本邦所属トシ」

 

つまり、「この島が無主地で、国家の領有意思を持って、実行占有する」という「領土の占有要件」を満たしているので、領土にするのは国際的に合法であると言っている。

この主張は「サンフランシスコ平和条約」でも認められている。

 

これに対して、韓国は「1900年の大韓帝国の勅令で「石島」を鬱陵島の行政管轄権にいれた」とあります。この「石島」が独島(竹島)であると、主張している。

これに対して、日本は「石島」が竹島という証拠はなく、むしろ鬱陵島のすぐ近くにある岩礁の「観音島」である可能性が高いとしている。

また、韓国は「日露戦争中に日本が独島(竹島)を略奪した」と言っているが、日本は「竹島はもともと韓国領であったことがないので、略奪には当らない」と言っている。

 

平行線の議論であり、「國際司法裁判所」に持ち込むのが適当だと思われますが、韓国は依然として応じていない。

 

Ⅳ.歴史的考察

 

竹島の歴史問題に対する日韓の意見をウィキペディアから私なりに纏めてみた。

ウィキペディアが間違っていたら、私が書くことも間違っている。

 

纏める基本方針として、次の3点を基にした。

①.時代では、1850年以前(列強が朝鮮に干渉を始め出す以前。朝鮮では朝鮮王朝の中期以前、高麗王朝)と1850年以降とくに1905年までの2期に分けた。1850年~1905年の方がより重要である。

②.両国の主張の基本的立場としては、古い文献・地図などから見て、韓国は「竹島は以前から韓国(朝鮮)領であった」と発言しているのに対して、日本は「韓国の文献・地図の解釈には疑問があり、1905年時点で、竹島はどこの国にも属さず、どこの国にも支配されていなかった」と主張しています。

③.引用文献からみると、この文献・地図による議論は、主として1990年以降であり、韓国が竹島を占拠・武装化し始めた1973年の時点のものではない。当時は、あまり議論もなく、韓国が一方的に正当性を主張し、占拠・武装化したと思える。

 

1.1850年~1905年の文献・地図に関する主な議論

 

韓国は、「『朝鮮国交際始末内探書』(1870年)、「太政官指令」(1877年)、『朝鮮国全図』(1882年)、『大日本全図』(1883年)の日本で編纂された文献を上げ、いずれも、松島が朝鮮領だと、日本が認めている。この松島は独島(竹島)のことである」と主張しているが、日本は「松島は竹島のことではない」と反論している。

また、韓国は、「『大韓帝国勅令』(1900年)で石島を韓国領としているが、この石島は独島(竹島)のことである」と主張しているが、日本は「石島は竹島ではない」と反論している。

(この韓国の主張には、2003年に韓国に帰化した世宗大学の保坂裕二教授が深く関わっている)

さらに、日本は、朝鮮で編纂された『大韓地誌』(1899年)、『大韓新地志』(1907年)では、鬱島郡の行政地域は東経130度35分から45分までとあるが、竹島はこの範囲より東である」と主張しているが、韓国はこの本の著者は民間の学者であり、公的な見解でないと反論している。

 

やっぱり、國際司法裁判所に持ち込んで、議論しないと決着しない。

韓国はなぜ拒否するのだろうか?

公に議論すると、負けると思うのだろうか?

 

2.1850年以前の文献

 

韓国は「『三国史記』(1145年)、『世宗実録』(1454年)、『粛宗実録』(1728年)、『東方文献備考』(1770年)の朝鮮で編纂された史書に書かれている于山または于山島は独島(竹島)だ」と言っているが、日本は「于山または于山島は竹島ではない。むしろ鬱陵島か鬱陵島に付属している竹嶼である可能性が高い」と反論している。

ほかに、松江藩士が書いた『陰州視聴合記』(1667年)、『三国通覧輿地路程全図』(1785年)の日本で編纂された史書も引用されているが、同じような議論なので省略する。

 

竹島は、人が住む韓国・鬱陵島から87キロ、日本の隠岐から157キロも離れた所にある日比谷公園の1.4倍ほどの小さな人の住めない岩礁。しかも、江戸時代以前の航路からも離れている。

文献と実在の同定が難しいのであろう。