トウルーズの繁華街 (D4 PM)

 

4日目の最後のプログラムは庭園を見に行くか自由行動をするかの選択があったので、後者を選び、トウルーズの繁華街を散策した。

 

 

 

 

車の来ないビルの谷間のような広場に来ると、街頭アコーデオン演奏に出会った。道端のカフェーで席を見つけて腰をおろし、コーヒーの注文をした。アコーデオン演奏曲ではアルゼンチンタンゴがよかった。アルゼンチンタンゴは普通はバンドネオンで演奏するのであるが、アコーデオンでやることもたまにある。ここでは一人で、切れ味のよい実によい演奏をしていた。

 

 

 

最後の写真は、パン屋のバゲットの切り目の模様が面白かったので写真におさめた。

その理由というのは次のようなことである。二年ほど前、「バゲットの切り目は7個でなければならない。7個でないものをバゲットと呼んではならない」というような権威めいた日本語の記事を読んだ。怪訝に思ったので、コロンバスにあるフランス人の経営する2軒のフランスパン屋に出かけ、バゲットの切り目の数はいくつでなければいけないという規則があるのか聞きに行った。答えはNOで、「バゲットの長さも自由だし、切り目の数も自由である」あった。それ以来、パン屋でバゲットがおいてあると切り目を数える週間がついてしまった。これまでの最小は1個、最大はこの写真のパン屋で14~5個。肩がこらぬように気楽に考えればよいってことか。

 

話は数日後戻りするが、昼食のときにだされたバゲットを食べながら、そのバゲットの話になった。ところが、英国人はその歴史をよくは知らない。そこで、「皮がかりっとして中が柔らかいバゲットバゲットの焼き方を開発したのは1830代にウイーンからパリにやってきたオーストリア人、August Zangであった。かれはオブンに蒸気を吹き込む装置を作り、バゲットの皮は硬く、中は柔らかくすることに成功した。かれのパン屋はよく繁盛し、また蒸気吹込オブンがよく売れて金持ちとなった。しかしナポレオン3世が1852年に政権をとり、オーストリア人への風当たりが悪くなったとき、パリの店をたたみウイーンに帰ってしまった。しかし、フランスではその後も彼の発明したバゲットがますます普及した。また1920ころ、午前4時以前にパン職人を働かせてはいけないという法律ができてからは、焼く時間の短いバゲット以外のパンを朝早くから店頭に出すことが困難になったことも、バゲットに有利にはたらいた」、と話した。皆からから、そんな話は知らなかった、と感謝された。しかし、「フランス人にその話をすると機嫌がわるくなるかもね」、というコメントもいただいた。