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高圧蒸気機関、不遇のトレビシック

 

リチャードトレビシックの父親はコーンウォール地方の錫と銅を生産する鉱山で働く鋳物師であった。学校では勉強が嫌いで、教師の言うことを聞かない劣等生ではあったが、数学の答えは他人の真似の出来ない方法で答えをすばやく出し、機械に異常な興味を持っていた。たまたま、モルトン-ワット会社で働くマードックの隣の家に住んでいたことがあって、マードックの作った蒸気自動車に非常に興味を持ち、知識も得た。19歳の時には異例の若さで鉱山のコンサルタントという肩書きの職に付いた。

 

当時コーンウォール地方の鉱山ではワット改良型の蒸気機関が使われていたが、ワットに高い特許使用料を払うことに不満があった。これを解決する方法として、トレビシックは高圧蒸気機関を開発した。しかし、1796年、ワットの手配により法廷からの停止命令をうけた。

 

ワットの特許が切れた1800年の翌年、1801年のクリスマスの前日にカムボーンヒルの坂をかれの作成した高圧蒸気自動車が登った。

2年後の1803年に下図のようなLondon Steam Carriageと名をつけた高圧蒸気自動車をロンドンのホルボーンからパッデイングトンまで往復させたが、乗り心地はわるく非常に高価につき、馬車とは競争にならなかった。

 

同じ年にグリニッチで鉱山のポンプのために作った高圧蒸気機関のボイラーが爆発し、4人が死亡した。このときボルトン-ワット会社から調査員が来て執拗に原因を追究した。この事故がきっかけで、高圧ボイラーには安全弁と水銀圧力計ををつけるという改良が行われた。

 

翌年の1804年、ウェールズの炭鉱で高圧蒸気機関車を完成し、鋳物のレールの上を10トンの石炭と70人の工夫を積んで時速8Kmで15Kmの距離を走った。しかしこのときのレールは馬が引っ張る車両のために使われていたもので、7トンの蒸気機関車には重すぎて折れたために、機関車は転覆し溶けてしまった。かれの技術的成功は企業的成功とは縁がうすかった。

 

その他の数々の試みの後、やがて南米に移りペルーとコスタリカの鉱山でコンサルタントとして働き、1828年に英国に戻った。しかし政府からの年金を拒否され、貧苦に苦しみながらこの世を去った。彼の作った高圧機関車の数多が英国各地の博物館に展示されている。

 

Google doodle of Richard Trevithick's steam locomotive

トレビシック蒸気機関車のモデル

 

 

トレビシック14号蒸気機関、ロンドン科学博物館

 

http://www.guardian.co.uk/science/blog/2011/apr/13/richard-trevithick-locomotive-google-doodle