鳥影137号 再び、津軽へ

 

武山文子

 

兄弟姉妹会

今年も前橋に住む弟夫婦のアレンジで、兄弟姉妹会は秋日和に恵まれた十月二十一日から三日間の津軽への旅となった。今年一月に亡くなった義姉を偲ぶ旅でもあった。残念ながら名古屋の妹夫婦が、日程が合わず不参加となったが、総勢九人は新幹線《こまち》で秋田駅に集合した。

 

五能線

 秋田からは五能線に乗り換えた。オレンジ色の車体の《くまげら号》は、日本海の海岸線を波に手が届きそうなところを走る。ボックス席のテーブルにはビールやおつまみも並んで、旅の始まりの高揚感でみな笑顔だ。千畳敷駅は、ホームの眼前に海と岩礁の景観が開ける。津軽の殿様が畳千畳を敷いて大宴会をしたという。平らな大きな石が敷き詰められて壮観だ。一番前の車両は運転席のすぐ後ろが展望車になっている。しばらく前を向いてレールを観ながら、運転助手になった気分だった。

目を車窓に転じると、ピンク色の空がグレイに変化して太陽が水平線の向こうにゆっくりと沈んでゆく。残照は海に斑模様を作り、岩礁は黒いシルエットとなる。心地よい列車の振動に身を任せ、暮れゆく海の静けさに包まれていた。みんな無言で。

 

鰺ケ沢と岩木山

 北前船が寄港した鯵ケ沢には、名残を偲ばせる歴史遺産も多いという。鯵がたくさん捕れたことも、地名の由来になっているそうだ。夕闇に包まれる頃、丘の上の洋風ホテルは窓いっぱいに明りを灯して歓迎してくれた。ロビーでは採れたてりんごの宅配便を、試食を兼ねて呼び込み中だった。りんごの国に来たことを実感する。《しなのスイート》の上品な味が口いっぱいに広がった。明朝では品薄と聞いて早速、子供たちへお届けした。

 硫黄の匂いは少なく、さらりとした温泉にゆっくり浸かり旅装を解いた。テーブル席での洋風料理は、地元の食材を使ってシェフが腕を振るってくれた。白、赤ワインもベストな選択だった。昨年の奈良旅行では元気だった義姉を偲びながら、津軽の一夜はふけっていった。

 早朝一番、大きなガラス窓の向こうに広がる、まろやかで美しい岩木山におはようと挨拶した。ホテルのすぐ近くから《鯵ケ沢ゴンドラ》が出ていた。私たち家族の他に見物客は数人だ。揺れるボックスを二人占めにして、標高九百二十一メートルの山頂へ。鯵ケ沢の街と日本海を展望した。穏やかな風景だ。 

 

白神山地とりんご園

翌朝、総勢九人は十人乗り運転手兼ガイド付きマイクロバスで、世界遺産《白神山地》へと出発した。全山、黄葉に燃えるブナの林だ。心に黄色い火が灯ったように感じた。

〈わー、すごい、きれい〉

と、およそ文学的でない感嘆詞の連続であった。ほとんどすれ違いのできないような山道を三時間程走ってゆく。ブナの木の生命力を肌で感じながら、天狗峠展望台や他の絶景ポイントでは車から降りて、深呼吸をし、遠景のヒノキの緑の山と黄色のブナ林のグラデーションも楽しんだ。紅葉はほとんどない。青空は旅人への最大のプレゼントだった。

〈あ、猿が〉

三匹の家族ずれの猿とリスに似たヤマネに出合った。幸か不幸か熊には出合えなかった。

少数だが白神山地の山奥にまだ住んでいるという〈またぎ〉の話は興味深かった。山を神聖なものと崇め、孤高に己を律した山の生活だという。

津軽峠では車を降り、マザーツリーと呼ばれるブナの大木まで歩いて行った。遠くに岩木山も望める場所にあった。樹齢四百年の木肌に耳を当て、木の鼓動を聞いてみた。二百メートルほどの小道は、落葉樹の葉でふかふかしていた。団扇ほどもある袍の木の葉を二枚拾った。

弘前に向かう帰路には、赤よりもピンクに近い大きな実を付けたりんご林が続く。ここでも

〈わー、すごい〉

と興奮した声の連続だった。

途中、リンゴ農家に寄って、ご自慢の品種《世界一》を試食した。大きく、爽やかな味はまさに世界一。運転手さんが農園の人と喋る津軽弁は聞き取れなかった。

お弁当付きドライブと聞いていたが何かの手違いで昼食抜きとなり、アップルパイとりんごソフトクリームで凌いだ腹ペコ部隊は五時前に弘前駅に到着した。

 

居酒屋《土紋》

 七月に弘前を訪れた時には、《呑ムリエ会》に参加した。その時の主催者だったKさんご夫妻の居酒屋に、予約を入れておいた。道に迷いながら歩いて三十分、やっと暖簾にたどり着いた。

 昼抜きのグルメ集団の食欲は凄まじい。弘前ねぷたの凧、客の色紙、地酒の一升瓶が棚に百本も並ぶ貸切り小部屋は、喧騒のるつぼであった。《呑むリエ会》で知り合った女将さんの地酒《豊盃》を味わい尽くした。帆立やイカの刺身,サバやホッケの塩焼きは絶品であった。

とりわけ美味しかったのは、当店自慢のお好み焼き。直径三十センチ、厚さ五センチの大物だ。海の幸とトロロ芋が口の中でトロリと溶けた。

 

津軽鉄道アテンダントの語り部

 あくる日は弘前市内巡りの人。弘前の次に、奥入瀬や十和田湖に向かう人。それぞれの行程に分かれた。

私たちは、冬のダルマストーブで有名な津軽鉄道で、五所川原から太宰治の故郷、金木に向かった。二両編成の車両では、めんこい制服姿のお姉さんが津軽弁でガイド役。何にでも雪んこ、餅っこ、と〈こ〉を付ければいいというが、難解だ。

お姉さんは、にこやかに私たちお年寄りの荷物運びもしてくれた。車内には太宰治の『走れメロス』の津軽弁訳が貼ってあった。ダルマストーブが赤く燃え、雪景色の中を走る時にまた来たいと思う。

 

金木の《斜陽館》

〈金木は私の生まれた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会風にちょっと気取った町である。善く言えば、水のように淡泊であり、悪く言えば、底の浅い見栄坊の町といふことになってゐるやうである。〉

太宰治は小説『津軽』に金木のことをこう書いた。雨模様の町のたたずまいは、今もこの小説そのままである。駅から歩いて二十分ほどの全域が大地主津島家の屋敷だったことに驚く。

赤いレンガ塀の《斜陽館》はとてつもなく大きい。ヒバの木をふんだんに使った贅沢な造りである。蔵が資料館になっていて写真資料や説明を読んでゆくと、太宰の世界にすっかり入り込み、もう一度小説を読み返してみたくなった。座敷には家長と長男しか入れないことが、部屋の段差ではっきり示されていることに時代を感じた。

ガラスのように脆い太宰の人格形成を、大家族で過ごした生い立ちの中に見つけ、興味深かった。

 

少年のような好奇心を持った長老は、《こまち》の三分停車でホームに降り、周りを見物しているうちに、列車は発車。後の列車で追いかけて事なきを得た。

カードの入った財布を落として青くなった私も、ホテルの食堂担当が、テーブルの下から見つけてくれて、一安心した。

いろいろあってもそれぞれに楽しんだ津軽の旅であった。