山本有造著『「お雇い」鉱山技師エラスマス・ガワーとその兄弟』を読んで 

                              

伊藤 一男         2012-10-21

 

山本經二さんの弟・有造さんの上記ご著書は、ご専門の数量経済史から離れて、楽しんでお書きになったと承りましたが、どうしてどうして、数量経済史をベースに本書をエッセー風にまとめられた堂々たる論文です。なぜなら、註の引用文献もすこぶる多く、それらの必要な箇所を厳選して引用されており、加えて人名索引も付され、まさに研究論文の体をなしているからです。それを素人にも分かりやすく記述する巧みな技(わざ)・・・ほとほと感心してしまいます。

 

そもそも著者の疑問は、「開港期の幕末から明治初期にかけて、頻繁にガワーという名前をみつけて、とまどう」「また職業も「お雇い」鉱山技師であったり、領事であったり、貿易商であったり、時には画家あるいは写真家らしかったりして振り回される」「いったい何人のガワーがいたのか、彼らの実態は何者であったのか」。そんな疑問を著者は「かれこれ40年」もの間、ひそかに抱き、その間にイギリス、フランス、イタリアを巡って資料を集め、構想を練り、「この春に突然思い立って、長らく仕舞いこんできた収集資料を掘り出し、記憶を総動員して書いたのがこの一文」とのことです。

 

読み始めると、まるで探偵小説を読むがごとく、ぐいぐい引っ込まれてしまい、一気呵成!、気が付いたらもう「おわりに」でした。著者はヴェールを一枚一枚剥ぐように何人ものガワーの実像を浮かび上がらせ、そして遂には明らかにします。結論はこうです。「はじめに現われるのはイギリス総領事館(公使館)として1859年(安政6年)に来日したエーベル・ガワー」(三男)、「次に現われるのはジャーディン・マセソン商会横浜支店の支店長として1862年(文久2年)に着任したサミュエル・ガワー」(長男)、そいて「三番目が「お雇い」鉱山技師として1866年(慶応2年)函館に現われるエラスマス・ガワー」(次男)の三兄弟でした。彼ら三兄弟の日本における滞在期間や仕事、その後の境遇については本書に詳しく述べられています。なかんずく「お雇い」鉱山技師・エラスマスは「日本における「文明開化」の尖兵であった」と、彼の業績についての記述にもっとも多くのページが割かれています。

 

ところで、本書ではのっけから長州藩英国留学生である井上聞多(馨)、野村弥吉(井上勝)、遠藤謹助、山尾庸造(庸三)、伊藤春輔(俊輔、博文)らに出くわします。彼らは化学史研究者にとって無関心では居られない人たちです。なぜなら、武山高之さんご指摘のように、彼らはイギリスのUCL(University College London)の化学者・ウィリアムソン(ドイツの大化学者・リービッヒの弟子でもある)のもとに留学したのですから。

 

「英国出立に至るいろいろな困難のなかでも、五千両という費用の金策とイギリスへの渡航を周旋する世話人の発見には特に苦労があった。前者については藩御用達・大黒屋六兵衛の手代・佐藤貞次郎ならびに江戸藩邸兵学教授・村田蔵六の尽力で目途がついた。後者については<英人ガワル>に依頼することとし、下打ち合わせには山尾庸造が当った」と著者は述べていますが、そもそも密航を指揮したのは周布政之助という同じ藩の尊王攘夷のもっとも過激派の兄貴分であったとモノの本で読んだことがありますが、その辺の真相はいかがなものでしょうか。さらに、留学先になぜ化学者のウィリアムソンを選んだのでしょうか。

 

それにしても幕末の激動期、しかも当の長州藩士が英国公使館を焼打ちしようとしているさなかに、幕府の禁を犯して密航同然の形で、それも英国に5人の若者を留学させるとは!いったい誰のアイディアでしょう。その謎を解くには本書に紹介されている参考文献を改めて勉強する必要があるようです。

 

 

最後に、書評とは関係ありませんが、この夏、私は周南市での化学史学会総会に出席したついでに富海(とのみ)海岸を訪れました。ここは江戸時代、瀬戸内海の旅客船および貨物船の役割を果たした船足の速い小型船・「飛船(とびふね)」で有名です。吉田松陰をはじめ、周布政之助、高杉晋作、久坂玄瑞など幕末の志士たちの多くが「富海の飛船」を利用しました。

 

本書にも「文久3年(1863年)510日長州藩による馬関海峡の封鎖と砲撃に対する報復として、翌元治元年(1864年)夏,英仏米蘭四カ国の連合艦隊による下関砲撃が企画された。ロンドンにあってこれを知った井上馨と伊藤博文は藩の危急を救うべく急遽帰国した」と記述されています。上記の伊藤、井上の両公がロンドンから帰国して姫島で飛船に乗換え、密かにこの海岸に上陸。飛船問屋入本屋磯七宅にて身繕いをして山口藩庁へ駆けつけたのでした。

 

偶然とはいえ、山本經二さんのお陰で、弟さんのご著書に出会い、この夏に訪れた富海海岸の思い出が鮮明に甦ってきました。                                   以上