201315

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第21話 ドイツ学事始め(その3、遅れて始まったドイツ語学)

 

 2011年は日独修好150周年にあたり、各種イベントが催行されたのは記憶に新しい。化学分野では「日本・ドイツ化学シンポジウム」(2011.6.20、@東工大・蔵前会館)が開催された。記念年を機に日独交流の歴史に関する多種多様な情報がメディアやネットで賑やかに提供された。

 

意外なことに、ドイツ語学は英・仏・蘭・露の諸学よりもかなり遅れて始まった。江戸時代は蘭学が主流であったが、オランダの隣国であるドイツや近親関係にあるドイツ語学には関心が薄かった。シーボルトのようにオランダ商館員として来日滞在した著名なドイツ人もいたが、彼らはオランダ人を装っていた。また、蘭学書は「解体新書」のようにドイツ語原書から蘭訳されたもの、「舎密開宗」のようにドイツ語の翻訳書からオランダ語へ重訳されたものもあった。

 

ドイツ学の起源は(Wikipedia)1960年プロイセンの使者として来日したツー・オイレンブルク(F.A. zu Eulenburg後のビスマルク内閣内相)が献上した電信機の使用法を学ぶために、蕃書調所の教授手伝であった加藤弘之(後に東京帝大総長)がドイツ語を学んだこととされる。翌年(1861)には日普(プロイセン)修好通商条約が締結された。本シリーズ第18話の末尾に挙げた葵文庫収蔵の「官版独逸単語扁」(洋書調所、1862) はこの機会に編纂刊行された。

 

幕末から明治初期にかけて、蘭学から洋学(英、仏、独)へ移行する。当初は英学と仏学が先行して重視されていた。東京帝国大学が設置された1980年代(明治10年代半ば)には急速にドイツ語学が隆盛して仏学を置き換えるようになった。次々回、この間の事情とその理由を考察する。

 

(つづく)