201315

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第22話 ドイツ学事始め(その4、旧制高校とドイツ語)

 

我々がある種の憧れを抱く旧制高校ではドイツ語は英語に次ぐ重要な外国語と見なされていた。第1外国語に何を選ぶかでクラス分けされていた。文科・甲と理科・甲では第1外国語は英語、第2外国語はドイツ語(またはフランス語)、文科・乙と理科・乙では第1外国語はドイツ語、第2外国語は英語であった。一高や三高など一部の高校では第1外国語がフランス語の文科・丙も設置されていた。理科・丙(フランス語)の設置はきわめて稀であった。

 

往時の語学教育のレベルは全般的に極めて高く、今日の大学教育レベルを遙かに超えていた。旧制高校生にとって、甲類でも、乙類でもドイツ語を学ぶことは誇りであったようだ。メッチェン、ゲル、ドッぺる・・・等々のドイツ語由来の学生隠語が盛んに使われた。旧制高校寮歌にもドイツ語由来の用語が出てくる。寮歌のドイツ語版も作詞されていたと聞く。

 

湯川秀樹が三高の2年生、17歳の時に、本屋で買ったばかりのプランクの「理論物理学・第1巻」のドイツ語原書を直ちに読みこなして理解したというエピソードがある。湯川は三高の理科・甲に入学した(因みに同級生の朝永振一郎は理科・乙)。上述の通り、理科・甲ではドイツ語は第2外国語(第1外国語は英語)であった。

 

ところで、理科・乙は医学・薬学・農学系の大学予科の性格が濃く、理工学系大学の予科は理科・甲であった。我々アイソマーズが京大で薫陶を受けた先生方の多くは旧制高校の理科・甲を経て、大学の理化学へ進まれたと推定できる。甲類であってもドイツ語は練達されていた。

 

(つづく)