201315

西 村 三千男 記

「科学史の雑記帳・蘭学から洋学(英、仏、独)へ」

 

第24話 ドイツ学事始め(その6 前回の補遺)

 

前回(第23話)の本文の第3項には次のように書いた。

 

3.遠因はリービッヒ!!

この時代のドイツ躍進の発端を「そもそも論」で云うなら「リービッヒとその弟子たちの活躍」にたどり着く。明治政府がドイツ学に傾斜した遠因はリービッヒ!!

 

短絡的に断定している。即ち、

「明治文明開化の時代、蘭学に代わって洋学がブーム化する中で、ドイツ学は英学・仏学よりかなり遅れたけれど1880年代に入ると急に盛んとなった。1886年頃には、明治政府は国策としてドイツ学とドイツ語を重視するようになった。前回はその史実の遠因を『リービッヒ一門の活躍である』と断定した。」

 

その理由は前段を補足して次の如く説明できる。第1項で、岩倉使節団隆盛するドイツに遭遇したことを述べている。ドイツは、19世紀半ばまでに化学工業立国に成功した。世界初のタール系合成染料モーブは英国でパーキンによって発明(1856)されたが、タール系合成染料の事業化はリービッヒ一門の活躍によってドイツで大きく開花した。これが発端となって、国力がフランス、英国からドイツへシフトし、ドイツは産業大国、経済大国、軍事大国へと成長を続けた。第2項で、岩倉使節団幹部が鉄血宰相・ビスマルクの演説に魅せられたことを紹介している。ビスマルクの自信の背景には普仏戦争圧勝や国力の隆盛があったことは云うまでもない。

 

ところで、

今年の化学史研究発表会(2013.7.6-7)には京大アイソマーズから伊藤一男さんが出講。

演題は:「ドイツ化学史の旅(4)―わが国近代化学の源流はリービッヒ学派にあり―

 

伊藤さんの演題の副題は「―わが国近代化学の源流はリービッヒ学派にあり―」

本シリーズ前回の主題は「明治政府がドイツ学に傾斜した遠因はリービッヒ!!」

と内容は異なるが話の流れが些か似ている。

 

                 (つづく)