リービッヒとロンドン王立化学大学に招聘されたホフマンのいきさつ

 

まず西村さん-伊藤さんの交信を下にコピーします。
 
西  三千男:
昨日は有り難うございました。
伊藤さんの化学史学会プレゼンの予告編を聞いて気付いたのですが、
年会の伊藤さんの発表の予稿、年会のプログラム等をアイソマーズ通信に未掲載です。 
 
伊藤さんか誰かが投稿のご予定がなければ、明日(6/24)西村が原稿を中村さんへ届けます。
 
昨日の話題で英国が化学教育強化のためにリービッヒ本人を招聘したが、
リービッヒがそれを断って代わりに弟子のホフマンを推薦した・・・エピソードは
山本明夫先生が紹介されています。
その文献(化学経済20054月)のpdfコピーをこのメールに添付します。
#5(p96)の小見出し「英国におけるホフマンの影響」の書き出し部分です。
その根拠の一次資料が明示されていませんが。
(下の転載リンク参照)
 
伊藤 一男:
1)化学史学会発表の件、アイソマーズ通信への投稿は貴兄にお願いし 
ます。
 
2)英国に招聘されたホフマンの件。山本明夫先生の文献添付、ありが 
とうございました。
山岡先生の「化学史談」(ギーセンの化学教室)には、P.176 
P.298に関連記載があります。
要旨は;ロンドンのRoyal College of Chemistryの設立委員会か 
らリービッヒ宛に
「ギーセンの実験室でリービッヒの目の下で修業をつんだ若々しいドイ 
ツ人の化学者」
を推薦してくれるよう依頼があった。
リービッヒの意中の第一はフレゼニウス、第二がウィル、第三がホフマ 
ン。
前二者が辞退したので結局ホフマンに決まったが、同カレッジにとって 
ホフマンに決まったことは幸であった。
 

 

なぜ英国からドイツへ国力のシフトが起きたのか  山本明夫

(化学経済 2005年4月号からの転載)

 

上の記事は西村さんが用意されました。上記題名をクリックすると開きます。

 

伊藤さんの発表の予稿、年会のプログラム等は改めて掲載の予定です。