2 楽焼に魅せられる

 

陶芸教室へ通うようになった直接のきっかけは、楽焼に魅せられたことであった。

 

楽焼は英語でもRAKUYAKIで、アメリカでもこれをやる陶芸家は少なくない。楽焼は豊臣秀吉に時代に千の利休が長次郎という名の瓦職人に頼んで湯飲みをやかせたこから始まるといわれている。長次郎の父親はやはり瓦を焼くことが専門で朝鮮から移住してきていた。

 

楽焼と普通の陶磁器とどこが異なるかというと、楽焼は普通の陶磁器よりはるかに低い温度で、しかも還元性の雰囲気の中で焼く。このために炭素ですら着色材料として利用できる。また焼いたときにでる楽焼特有の色を保つために、冷水にいれて急激に冷やしてしまう。したがって、用いる粘土も急激な温度変化に耐えられる粘土を用いる。

 

陶磁器の色は釉薬の中に含まれる鉄、コバルト、ニッケル、銅、マンガンなどの金属酸化物できまる。金属の酸化物の色は、酸素が充分にあるときと、酸素が欠乏しているときでは色がことなる。たとえば鉄の化合物は酸素が多いときは黒に近く、酸素が欠乏すると赤茶色がでる。

 

普通の陶磁器を焼くときでも、薪やガスを燃料にするときは、酸素を少なくして還元性の雰囲気をこしらえることが出来るが、急激に冷却することは出来ない。電気炉では、いつも酸化性の雰囲気であり酸素を調節して色を変えることはできない。

 

楽焼では素焼きに上塗りした材料をいったん普通の窯で赤熱し、赤熱のまま取り出して小さな容器に移し替える。この容器にはおがくず等の燃焼性の材料をつめておくので、赤熱した材料が燃焼を始めるが、空気が遮断されているので極度の酸欠が生じる。さて、千の利休の依頼をうけた長次郎がなぜこのような技術を使えたのかというと、このような楽焼の原理は朝鮮ですでに開発されていて、茶の湯のみにすでに使われていた。長次郎が父親から受けついで知っていたのである。

 

楽焼は1950年ころアメリカで知られるようになり、日本の伝統や習慣にとらわれず、以後前衛芸術のごとく自由奔放に発達してきた。

 

アメリカでのやり方だと、窯はガラス綿のような非常に軽い断熱材を売っているから、それをはさみで切って簡単にできるし、燃料はプロパンガスのタンクが一個とバーナーがあればよい。さらに酸欠燃焼を行うのは、適当な鉄の缶たとえばごみ捨て用のブリキ製の容器があればよい。屋内では出来ないので、天気のよい日に庭の一角でやることになる。

 

私が陶芸教室へ行き始めるまでは、そんな夢をみていたのだが、楽焼をするためには、粘土成型の技術が必要である。陶芸教室はそれを習いに行くためだと考えていたのであった。

 

注 楽焼は色が普通の陶磁器にはないものが多くあって面白いのだが、実用品にならないことが多く、また危険性もあるので要注意である。たとえば、釉薬が完全に熔けないため水漏れするものがあり、また鉛を釉薬に用いていることもある。楽焼は食器をして使わないほうがよい。楽焼は短時間に仕上がるので観光地などで、客が絵を描くとすぐに焼いて呉れる店もある。このような焼き物を食器として使うなら、その安全性についてよく店で聞くほうがよい。

 

中村省一郎   2013-2-3